カテゴリー「グローバル30(国際化拠点整備事業)」の11件の投稿

2009.07.22

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(11, まとめ・結論編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (11)

 10回にわたって述べてきたことの要点を箇条書きで述べよう。

・大学経営からみれば、基本的に「グローバル30」に採択されることは割に合わない
・留学生30万人計画によって、留学生のうち2-3万人が国内で就職することが見込まれる(現在1万人ほど)
・この数字は、当面の「少子化」問題をある程度打ち消すことができるものだ
・採択された大学は、5年間の補助金支給期間終了後も10年目まで義務を負うが、そのひとつは留学生の数の増大であり、大学によって1,000人-2,300人の増加がノルマである
・これに伴い、多くの大学は、もし従来型定員を縮小させなければ、校舎増設などの大規模投資が必要になる
・一部の職員に英語能力が求められる可能性がある
・グローバル30の「英語コース」で補助金を使って雇用する教員は非常勤に限られる
・今後常勤で採用される教員は、英語による講義とは関係なくとも、英語による教授能力や、1年以上の国外留学経験が求められる可能性がある
・同様に、大学教員を目指す大学院生が留学経験を必要と感じる傾向がよりはっきりする可能性がある
・いわゆるリストラクチャリングのテコとして「グローバル30」が使われる可能性がある
・「グローバル30」は、中教審や教育再生会議などで慎重な検討を経たものというよりは、経済財政諮問会議や一部文部官僚から天下り式に降ってきたものと考えた方がより正確である()
・「グローバル30」などにはいくつかの思惑がある(第6回参照)
・「グローバル30」などにはいくつかの混乱が予想される(第7回参照)
・留学生30万人計画や、「グローバル30」で個々の大学に課せられる留学生数増大ノルマは決して達成が易しいものではない。
・学部段階で英語による教授をかなり増やす(目標30%)というのは、単に困難であるだけでなく、不必要・有害である
・その根拠付けとなっている(おそらく)独仏の大学だが、少なくともドイツでは「グローバル30」が想定するようなことは一般的ではない

 あまり重要でないように思われるかもしれないが、()のことは重要だ。例によって、ここでも民主主義的な何かによって、というよりは、一部の勢力/人間の思惑から決められているのである。

 留学生30万人計画では、上に書いたように、留学生のうち2-3万人が国内で就職されることが見込まれる。彼らは定住者となるだろうから(非定住者でも良いが)、今後、毎年それだけの人数の在留外国人がより増えてゆくわけである(もっとも、帰化してゆく場合もあるだろう)。

 現在、外国人登録者数は毎年5-8万人増加しており、現在トータルで220万人ほど(2008年)、永住者も毎年5万人ほど増加しており、現在90万人ほどである。(法務省入国管理局統計参照;http://www.immi-moj.go.jp/toukei/index.html)

 留学生30万人計画に従えば、10年間で20-30万人の永住者が増えることになる(もっとも、帰国するなど移住する人もいるだろうし、一方では、家族を呼ぶ人もいるだろう)。30年間では(つまり1世代で)100万人に達しようかという人数だ。これは、かなりの数である。

 しかし、こうしたことに対して国内の精神的・物理的準備あるいは議論が十分であるとはいえない。例えば、現在、ブラジル人に「帰国キップ」を渡して「帰ってもらって」いる地域でも、彼らを雇う企業は税金は払うものの(払わない企業も多いだろうが)、ツケは自治体とか地域コミュニティーに一方的に押し付けてきたという面は否定できないだろう。もちろん、当の外国人たちにもだ。

 そういったことを抜きにして、一種の「少子化対策」としてこうした留学生増加、「国際化」を叫ぶのには、どうもうさんくささを感じざるを得ない。

 少なくともいくつかの国で、あまり思慮なしに当面の問題を解決するために外国人を移入してきた結果、深刻な国内問題を発生させてきたという教訓から目をそむけるべきではないだろう。

 前にも言ったが、私は外国人排斥論者ではない。これもくどくなるが、数値目標を設けて何人を留学生として確保せよ、そこから何人を企業で雇う、といった手法に違和感を感じているのだ。私はむしろ、日本で学習したい人には日本に来てもらいたいし、あるいは国外で学習したい人には国外に行ってもらいたい。とりわけ、後者は、日本人が過度に内向きになっているように見える現在、やや尻を叩くぐらいでちょうどだ、ぐらいに思わないでもない。

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 さて、ここまでは、やや意見を異にする部分があるにせよ、それほど私の記述に違和感を感じなかった人も、以下の記述には反感を持つかもしれない。

 私は、日本の人口が多すぎると考えており、なるべくスムーズに(「自然に」)人口を減少させることが必要だと考えている。そうであってみれば、せっかく人口減少のとばぐちにある今、それに人為的に逆らうような政策をわざわざとることにも、強い違和感を感じるのだ。

 今後とも日本がある程度の物質的豊かさを享受しようと考えるなら、日本の人口が多すぎることは致命的である。現在、少子化、人口減少「問題」が叫ばれているので、ムードに流されている人も多いと思うが(多いというより、ほとんどの人がそうだと思うが)、1980年代ぐらいまでは日本の人口の多さこそが問題であり、少なさなど全く問題ではなかったのだ。そのころまでは、産児制限が真剣に議論されていたくらいなのである。

 留学生の話に即せば、ある人が日本にいるか、別の国にいるか、は世界的に見れば無論意味がないが、とりあえず世界政府といったものが存在しない以上、日本国でできることはすべきである。

 日本人の多くも思っているはずだ。世界の人口は増えすぎだということを。しかし日本もまた増えすぎてしまっているのだ。増えたのが過去だったので、現在の状況が増えすぎの結果であるということを忘れているに過ぎない。
 現に、(米を食べなくなっているという事情があるにせよ)食料の国内自給率はさんさんたる状況ではないか。これは農業の問題でもあるが、問題の裏側には増えすぎた日本人という理由があるのだ。

 もっとも、人口の増えすぎを指摘するのは私だけではない。すでに多くの人が指摘しているところだ。ひとつの参考になる書籍としてアラン・ワイズマンの『人類が消えた世界』(原著2007、邦訳2008、鬼澤忍訳、早川書房)をあげておく。

 子供をたくさん作ることこそが後の世代に責任を負うことだ、という考えはもはや見直されなければならない。

 上のような根本的な理由から、まさに目先の利益のために人材(人間)を輸入しようという発想にはうさんくささを感じてしょうがないのだ。

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 議論の分かれる話は横においておく。

 さて、最近買った週刊誌の裏表紙をなにげなく見てみると、ある大学の広告がカラーで載っている。
 ちなみに、その週刊誌は、新聞社系で、受験関係の記事がよく載るものだ。(フォントサイズの関係は広告を再現したもの)

平成21年度 文部科学省
国際化拠点整備事業

**大学は 国際化拠点大学
(グローバル30)に選定されました

 ああ、やっぱりな、と思わざるを得なかった。「6 思惑編」で書いたが、大学の一部からは、「グローバル30」を単なる(お上のお墨付き)マークか何かのようにとらえ、それを(大学関係者にも、受験生にも何がなんだか良く分からないが)学生獲得の護符にしようという気配が濃厚に感じられていたからだ。

 人が悪いと思ったが、念のためにその広告に記載されていた**大学の電話番号に問い合わせたが、そこでは「グローバル30」については不明だとされ、次いで、学内のわかるところ、というところに電話を転送されたが、そこでも必ずしもグローバル30を正確に理解しているとは言いがたい対応だった。まあ、そんなものだろう。

 こういった、マークによる誘導、というのは経済産業省などが得意とする手だが、文部科学省もより本格的に使い始めたということだろう。もっとも、すでに、「大学評価基準」とかいったマークはすでにあるわけだが。一部の大学は、それがあれば受験生が集まると思っているのか、「ホームページ」(Webサイトの頭のところという意味で)にナニナニに認定されました、とわざわざのせているぐらいだ。

 かつて、日本の企業でISO獲得騒動もあったわけだし(日本からの出願がかなりの部分を占めたと聞く)、大学とはいえ、やはり日本の法人だから、こうしたマークに弱いという点も否めないだろう。それに、マークの意味はよく分からないが、あそこが獲得したのだからウチも、とくる。

 以前書いたように、グローバル30は、申請の受付期間が極めて短かった。これだけ大変なオブリゲーションを課されるわけだから、大学経営陣もさぞかし応募するか、しないか懊悩したと推測されるが、ひょっとするともしかして、あまりしなかったかもしれない。

 彼らが、単に、補助金と護符がもらえるから、とか、あそこがやりそうなのでウチも、といった安易な理由で応募した・・・ということではないことを期待したい。

 了

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このシリーズ全体の目次(第1回)

シリーズ前の記事;「10, 望ましい国際化方策編」

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2009.07.21

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(10, 望ましい国際化方策編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (10)

 今まで9回にわたって、グローバル30(国際化拠点整備事業)およびその背後の留学生30万人計画について分析してきた。

 私の論調は、それら構想に反対である、という印象を与えるものだったろう。それはそうかもしれないが、私は「国際化」としてくくられる概念そのものに反対であるわけではない。ただ、前述のような構想には批判的であるというだけだ。

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このシリーズ全体の目次(第1回)

 国際化には、デメリットもあるが、いくつものメリットもある。それは明らかだ。

 むしろ、私が危惧しているのは、日本人が内にこもりすぎになっていると見えることだ。
 以前、私は「「東京都民はアホなのか?」森巣博(クーリエ・ジャポン)に寄せて」(2009.2.3)でこう書いた。(http://mrknomousou.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/on-morisu-hiros.html)

 中島義道氏、加賀野井秀一氏の『「うるさい日本」を哲学する』2007、講談社、p.13、にこうある。(若者について)「彼らは世界中のどこへでも気軽に出かけて帰ってきて「やっぱり日本っていいね」としみじみ実感するのですから」。この文にはかなりショックを受けた。
 まず、どうやら、「若者」は、日本がいい(あるいは最高だ)、と思っているらしいのである。でなければ「やっぱり」とはならない。そう、(いろんな意味で)「教育」されているのだろう。(中略)
 そして、他の国を見てすら、「「やっぱり日本っていいね」としみじみ実感」できるわけだ。

 若い人がこうでどうする!と叫び出したい状況だ。彼らは、一体、国外に行って何を見てきているのか。それに、日本にいる「若い人(大学生)」(・・・自分も年をとったなあ・・・)が、中国・韓国に抱いている素朴すぎる「感情」のみならず、身近な留学生にも壁を作ってしまっていることにも大いに不満だ(もっとも、後者には、留学生側の問題もある)。

 彼らの前にはせっかくいろいろなチャンスがあるのだから、もっとそれを生かしてほしい・・・と思うのは自然だろう。しかし、システムとしてもっと整備することがあるのも事実だ。

 今回の記事では留学生の行き来の改善について述べる。(なお、株式会社トゥモローの調査では、日本から行く、ビザを必要とする留学生の数は減っているhttp://www.anokuni.com/contents/ryugaku_data/)

 こちらから行く、という問題は後で述べるとして、来てもらう、という方を先に取り上げる。

A1) 英語ができない人にも短期で来てもらう
 「サマーコース」は、欧州では外注される傾向がある由だが、まだまだ日本では開拓そのものが不十分である。
 サマーコースや短期留学として、(英語以外の)いくつかの言語で日本語および日本文化の初級を学ぶことのできるコースをいくつかの大学(東京などの大都市以外が望ましい)に開設する。「いくつかの言語」というのには、中韓独仏西露といったメジャー言語のほかに、アラビア語、ペルシア語、ポルトガル語などがあるといいだろう。教師自身がこれら言語を使えなくともよい(使えた方がよいのは明らかだが)。通訳を雇えばよいからだ。そして、地方の大学でひとつづつ言語を担当してもらえばよい。もちろん、国は事業に対して補助をしなければならない。なお、ドイツの場合、フライブルク大学で、日本語を母語とするもののための教育を行っている。

A2) 交換留学でない留学生を積極的に受け入れる
 学位を前提としない、交換留学でもない学生受け入れに私学はもっと積極的であってよい。半年や1年で帰ってもらうようなタイプの留学生にはそもそもさほどカネもかからない。特別な対応をする必要もないので、安い学費で受け入れても良いだろう。社会人など向けのコースのように。つまり、科目等履修生の国際版だ。

A3) 日本文化科(といったようなもの)、や、各国の文学部学科を強化する
 理工系を別にすれば、これら学科が、本来であれば留学生の受け入れのメイン学科になるのだ、ということを認識すべきだ。
 日本文化を学習しようという者が、国文科に留学することは当たり前のように思えるが、現実にはそうなっていない。国文科は、日本人学生で占められることが当然視されているようなのだ。
 また、例えば「ドイツ文学科」「フランス文学科」といった学科が、国文科に留学するほどの語学能力のない(独仏の)留学生の受け皿になることも当然である。しかし、これもそうなっていない。米国を見ると、日本を研究するなにか(大学院やインスティテュート)が、日本の政治家の子息の留学先(ハク付け機関)になっていたりする。こうしたことは見習うべきだろう。

 しかし、日本で現実にあることはむしろ逆で、理工系を強化する、とかいった名の下に、本来であれば、国際化の王道であるようなこうした人文系が弱体化されているのだ。こうした現状が続いてゆくのなら、日本の学生も国外の状況がよりわかりにくくなるし(どうして仏文科などを減らすことが、国外事情理解の改善になるのか?)、留学への足がかりはますます減少してゆくだろう。

 日本に来る留学生の多数派は中国出身である。しかし、グローバル30に採択された大学の中で、その文学部に中文科を持っていない大学もあるのだ。しかも、中国語学科も持っていない。全く、驚くべきことだ。

A4) 複数専攻を認める
 A3のような文学部は「外国人には優しい」学部だろう(国文科はともかく)。しかし、それだけでは留学生にとって物足りない可能性もある。そのためには、一度に複数の学科(学部を超える場合もありうる)の科目をとることができるようにするとよいだろう。そうすれば、日本の留学先としての魅力はだいぶ増えるはずだ。もちろん、日本起源学生にもそうしたい。

 次に、こちらから大学生を送り出すことを考えよう。
 日本のように、メディアが極端に内向きであってみれば、(インターネットなどで国外のことをある程度知ることもできるが)結局のところ、日本居住者が国外に出て、自分の目で見るしかない、という面もかなり強い。

B1) 留学についての情報提供・考え方の転換
 私学の現状は、交換留学にこだわりすぎだ、と見える。多すぎるエネルギーが、交換留学先の大学との関係維持に使われている。その割に、交換留学生として留学するのは数人に過ぎなかったりする。
 確かに、入試広報上、こうした関係はアピールできる要素であるから力が入るのもしかたがない面もあったが、そろそろ、費用対効果の点からも力のいれ所を変更するべきときだろう。また、交換留学の対象にならなかったからといって、留学そのものが消滅する、ということは奇妙だ。休学して留学してもらえばよい。それに、ハードルの低いサマーコースもある。
 したがって、交換留学ではない通常の留学をサポートする体制を整えるべきだ。そのために、情報提供をすることは第一に取り組まれるべきことだ。単位認定についても研究してみてはどうだろうか。
 交換留学先を開拓するにしても、英語圏にそれを求めるのは、今や、かなり困難な面もある。しかし、英語にこだわる必要もないだろう。留学で得るものは語学の能力だけだ、というわけでもない。

B2) 就職活動の時期
 学生は留学をするもの、という前提で、採用活動(就職活動)の時期のガイドラインを設定するべきだ。
 (短期)留学をすると、どうしても4年で卒業できなかったり、あるいは4年で卒業はできるが、就職できなかったりする。
 学生自身がハナから4年での卒業を目指していないケースも多いだろうが、企業の採用スケジュールにも問題がある。そのために、学生の選択肢から留学が消されているという面は否定できない。「グローバル30」などは、財界の要求でできた面もあるわけだから、彼らはもっと学生の就職の問題に真摯に取り組む必要がある。

B3) マスコミ(とりわけNHK)の状況の改善
 例えばNHKを見ていても(私はあまり見ないが)、国際報道の薄さにはいつも「感心」する。これだけ「国際化」がすすんでいるのに、取るに足らない日本の何かが大々的に取り上げられているのはいつものことだ。例えば、まともな国のマスコミであれば地方ニュースレベルで扱う事件事故ネタを、プライムタイム全国ニュースで大々的に取り上げたりする。またまたドイツを引き合いに出して申し訳ないが、かの国で公共放送が流しているドイツ以外の情報量は、NHKが流す日本以外の情報の貧弱さとは全く比較にならない。
 一方で、それは民間(商業放送)に任せるべきだろう、といった「大リーグ」「アメフト」英米の「ゴルフ」とかいった国外スポーツ番組が貴重なBSの時間をかなり占拠している。付け加えれば、世界的に人気のないスポーツを選んで流しているような、NHKのスポーツ中継だが、ネタが英米圏に集中しているのも特徴だ。
 このような内向き報道にさらされていれば、人々の意識が内向きになることもありえる話だ。あるいは、中教審の委員会でも指摘されていたが、留学先=英語圏という図式も骨の髄までしみこむというものだ。
 もちろん、公共放送の放送内容を具体的にあれこれ指示することはできない。しかし、大枠を指定するぐらいのことはしてもよいだろう。現在の放送法でも、教養・教育・報道・娯楽のジャンルの間でバランスを取ることを求めているのだ(これは商業放送も同じだ)。
 「国際」のジャンルといえば米国と北朝鮮にだけ異様に熱心だ、というのでは、国際理解には役に立たないだろう。

B4) ビザ対策
 多くの国では、3ヶ月を超える在留に対してはビザを要求するだろう。半年(半期)の留学でも引っかかってくる条件だ。それが問題なく発給されればよいが、そうでない場合も考えられる。国レベルで調査し、国内向けに情報を流したり、他国に改善を要求することが必要だ。
 これは、留学生の受け入れについてもかかわることだが、ビザの問題については国際的な取り組みが要求される。

 次回はいよいよ最終回。

シリーズつづきの記事;「11, まとめ・結論編」
前回の記事;「9, 日本の大学学部における英語での授業編」

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2009.07.20

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(9, 日本の大学学部における英語での授業編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (9)

 前回までで、一応グローバル30計画(国際化拠点整備事業)についての記述は大体終わった。
 ここから、グローバル30と関連して、日本の「国際化」あるいは大学の「国際化」を考える上で、いくつかの事実を提示するなどし、より望ましいあり方を模索するためのよすがとしたい。

 前後2回に分けて書くが、今回は次の3つの関連する話題を取り上げることにする。

1) 本当に「諸外国」では英語による講義を学部段階で行っているのか
2) 学部で英語(など外国語)による講義をどう考えるか
3) 日本語をどう考えるか

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このシリーズ全体の目次(第1回)

1) 本当に「諸外国」では英語による講義を学部段階で行っているのか
 私は、諸外国の教育事情の専門家ではないので、割り引いて読んでいただきたいが、とりわけドイツの事情について述べよう。

 まず、今の問題だが、確かに、英語を母語としない国でも、英語による講義が広くといりれられている国はある。

 『クーリエ・ジャポン誌』2008年2月号の「フランス人言語学者が語る「言語の消滅が止まらない」」という記事を引用しよう。

 ―フランス語はどうなりますか?

 コレット・グリンネヴァルド氏 とくに大きな変化は見られないと思いますが、フランス人は複数の他国語を話す必要に迫られると思います。デンマークをみればわかりますが、あの国の大学ではカリキュラムの半数の授業は英語でおこなわれるようになっている。けれども、そこには言語の混こうはみられず、デンマーク人同士は母語を話す。英語を用いる理由は、世界のほかの地域で、誰もデンマーク語を話さないからですね。

 というわけで、「「『留学生30万人計画』の骨子」とりまとめの考え方に基づく具体的方策の検討(とりまとめ)」という2008年7月8日付の中教審留学生特別委員会の文書(実際は文科省官僚が作文したと思われるが)にある次の一節は必ずしも完全にウソではない。

 グローバル化が進む世界において、英語は国際共通語として扱われている。このため、米国や英国など英語を母国語とする国は多くの留学生を集めている。他方、欧州の英語を母国語としない国の中には、留学生を獲得するため、大学等の授業を英語で行うことを積極的に推進している国もある。このように、英語での授業は留学生を引き付ける意味で重要になる。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/attach/1249706.htm)

 ただし、デンマークで英語による学部教育をおこなっているのが「留学生を獲得するため」であるかどうかは不明だ。

 というより、この中教審の文は、教育再生会議第7回(2007年4月23日)における外部の人間(総合開発会議、薬師寺泰蔵氏)の次の発言を下敷きにしているのかもしれない。

 一部の授業は英語にして多くの留学生に魅力ある大学にする。英語は嫌かもしれませんが、国際語になっちゃいましたから、フランス、ドイツも学部はかなりの授業をもう英語にしようということで、世界中の頭脳を取り合っているということであります。(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/dai7/7gijiroku.pdf) 

 なお、ほとんど全く同じ文句は同日の「イノベーション25戦略会議」の黒川清氏の資料にも(なぜか)出てくる。そこでは、次のようになっている。

 学部レベル(交換)留学の推進:これが一流大学への世界の潮流。一部の授業は英語にして多くの留学生に魅力ある大学に(英語だけの授業で単位を取れ、卒業できるような工夫を; 仏、独でも推進)。

 (http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/dai7/siryou5.pdf)(うーーん、なぜほぼ同じなのかは「謎」だなあ・・・)

 ということで、「大学教育を英語で」と熱く語っている一部の人たちが似たような内容を語っているからには、中教審委員会のいうところの「推進している国ある」というのは、どうも、こうした流れからは独仏のことをさしているようにも見えるのだ。そういえば、日本の「留学生30万人計画」における30万人という数字も、独仏の、大学生に占める留学生の割合(10%強)に数字の根拠をつけられたものだった。

 では、実際のところはどうなのだろうか、と考えてみると、先のクーリエ誌の言語学者インタヴューからみてとれるように、フランスでは「英語授業が半分」には程遠いということがわかる。ちなみに、何度も取り上げているように、日本での「国際化された」大学での目標は30%だ。

 ドイツはどうなのだろうか。こちらは全く知らないわけでもないので、印象ではドイツ語で行われる授業が圧倒的だったというのはある。ただし、個人の経験などあまりあてになるものでもないので、実際に留学に必要な言語はどうなのだろうかと調査してみることにしよう。

 ドイツへの留学ということではDAADである(ドイツ学術交流会)。ここに「ドイツ留学FAQ」というページがある(http://tokyo.daad.de/japanese/jp_index.htm)。そこにはそのものずばりの「留学するためには高度なドイツ語能力が必要ですか」なる質問があるので、答えを見てみよう。

ドイツの大学では、一般的に、授業はドイツ語で行われます。したがって、入学申請時に、それぞれの課程で求められるドイツ語能力を証明する必要があります。しかし、英語で授業を行う学科も増えています。その場合は求められる英語能力を証明する必要があります。

 なんのことはない、「英語で授業を行う学科増えています」とあるように、あくまで「英語で授業」を行うのは、「」扱いである。本筋は、ドイツ語での授業なのだ。ただし、インターナショナルコースもあるとある。一度、そのページを見てほしい。言うまでもなく、日本語で書かれている。

 私の研究留学の際にお世話になったドイツの大学について調べてみたが、やはり、英語で学位が取れるコースは修士レベルに開設されており、少なくとも、見る限りでは学部レベルにはなかったのである(というより、そのことを知っていたから、文科省などの議論を謎に思って調査してみたのである)。

 中教審の「他方、欧州の英語を母国語としない国の中には、留学生を獲得するため、大学等の授業を英語で行うことを積極的に推進している国もある。」という上の文句は私にとって非常に謎なものになっており、ここにある「国」がもしドイツのことを指すのであれば、それはよくいって誤解、もしかすると、日本にいる人には国外の事情が良く分からないことをよいことにしたデマなのかもしれないものだ。こうしたことを根拠に「グローバル30」的「国際化」が進められるのではかなわない。

 もうひとつ、彼らが独仏をひきあいに出すことがいかに的外れであるかということを示すひとつの事実がある。

 それは、独仏では基本的に大学の授業料は日本的な観点から言えば無料に近い、ということだ。

 ドイツでは、授業料をとる大学(ほとんどが公立であり、私立はないわけではないが、少ない)も増えてはいるが、せいぜい年間授業料は10万円程度である。経営において、もともと授業料などアテにしていない。こうした大学は、「留学生を集める」ということに汲々とする必要など全くないのだ(それどころか、留学生が入れば入るほど、理論的には地元の納税者の負担は重くなる)。中教審などは、留学生を集めるために英語コースを作っているなどという、まったく、どこから湧いてきたかわからない妄想を撒き散らしているが、いい加減にしてほしい。

2) 学部で英語(など外国語)による講義をどう考えるか
 自国語による教材が不十分であったりする場合に、英語などの外国語に頼ることは十分ありえることである。これは、国の人口が少ない場合や、開発途上の場合にあてはまる。先のデンマークの例もそうだが、例えばブータンも英語による教育で知られる(ただし、大学はようやく開設したばかりだという)。日本もまた、明治維新からしばらくの間は外国語に頼る必要があった。

 しかし、日独仏のような国では必要はない。通常は、母国語によるコミュニケーションの方が早いし、同じ時間であればより多くの内容を伝達することが可能だ。

 ただし、一方でまた、先に『クーリエ』誌の記事でみたように、(あの)フランスですら、「複数の他国語を話す必要に迫られ」る(かもしれない、というぐらいかもしれないが)というのだ。
 日本について言えば、例えば、日本語ではなくても、その人の講義を聞きたい、というような人がよりたくさん大学で教えるようになるかもしれない(とはいえ、現在でも、外国人教員比率は3%以上あったと記憶している)。

 ということがあるものの、そういった講義が「30%」にも達する、というのはかなり不自然だ。前にも書いたが、こういった問題に数値目標を設けるというのはあまりにも奇妙だ。人事の観点から言えば、いい人がいればとればよいし、そうでなければ、とる必要はないのだ。

 追加的に言っておくと、ドイツの大学に「きちんと」留学しようと思ったなら、ドイツ語のハードルはかなり高い。文科省が考えているような、「かき集め」発想からは程遠いのだ。そのあたりの詳細は省くが、やはり、日本の大学に「きちんと」留学しようと思ったなら(たとえば、グローバル30で考えられているような長期留学なら)、日本語の能力を必須としないのはむしろ奇妙だ。

 もちろん、それをバイパスできるルートを設けるということに反対ではない、というより、大いに賛成だ。しかし、そのことと正規留学(したがって、日本の大学の多くの学部学科)は、分けて考えるべきだろう。

 なお、ドイツの大学におけるドイツ語のハードルが高いにもかかわらず、多くの人が何らかの形で日本からドイツに留学に行っている。(しかし、もっと多くの日本の人に行ってもらいたいと思う・・・DAADのネットでの資料には間違いがあると思うが、それでも中国からは日本からよりも10倍以上の人が留学している;「国際化」といった領域で、歯軋りするような思いをするのはこのようなところもそのひとつだ)

 中教審の資料によれば(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/019/gijiroku/08011108/004.pdf)
2004年OECD資料で2500人ほどが、先のDAADの資料によれば(http://tokyo.daad.de/japanese/jp_index.htm)2006年で1900人ほどが留学している。

 一方、独仏から日本に留学する学生の数は、750人程度である(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/020/gijiroku/08022520/001.pdf)。

 留学生のリクルート、ということをものすごく真剣に考える必要はドイツの大学にはない、と述べた。しかし、DAADであるだとか、ゲーテ・インスティテュートがそれに熱心ではない、ということではない。しかし、人口1億数千万人の日本に、彼らが注いでいるエネルギーがたいしたものであるともいえないだろう。そうしてみれば、文科省が主張している程には、国外に留学生獲得のための拠点を設けることが、留学生獲得の最も早い道のひとつだ、ともいえないのではないだろうか。 

 正道は、その国が魅力を持つことである。

 その国の国民であるというだけで、体型にまでケチをつけられる「メタボ健診」のような、憲法にも書いていない、全くわけのわからない義務を負わされる国に、長く住むという条件がついたとき、どれぐらいの人が魅力を感じてくれるだろうか。

3) 日本語をどう考えるか
 DAADのサイトを見ると、「ドイツ語を学ぶ」というページがある(http://tokyo.daad.de/japanese/jp_index.htmから)。まず、この時点で日本はドイツに敗北していると(たぶん)考えなければならない。なぜなら、もし、今後、日本が同じようなサイトを作ったとしたら、「日本語を知らなくてもだいじょうぶ」といったページを愚かにも作ってしまうだろうからだ。

 話がそれたが、その内容は、「ドイツ語を勉強する理由」から始まっている・・・
 文科省の役人に「爪の垢でもせんじて飲ませ」たいようなコピーである。で、引き続くリストがこれだ。

 ドイツ語を勉強する理由ってなんだろう?

   1. それは、世界中でたくさんの人々がドイツ語を話しているからです。
      もうご存知でしたか?
   2. それはドイツ語が、国際的なコミュニケーションにとって重要だからです。
      ドイツ語で国際的なコミュニケーションを
   3. それは、ドイツ語を学ぶとドイツ国内にある大学で勉強することができるからです。
      大学教育の履修に役立つドイツ語
   4. それは、(人文・自然科学)研究言語としてドイツ語が確固とした地位を築いているからです。
      研究言語としてのドイツ語
   5. それはドイツ語が、重要な商業言語の一つだからです。
      経済商業言語としてのドイツ語

 リンクをたどって中身を見ると、首を傾げたくなるような数字もあったりするのだが、それはそれとして、(ドイツと日本の留学生交換を目的とする)彼らがドイツ語を自信を持って推奨していることは間違いない。
 日本学生支援機構や同様の機関のサイトを見ても(ただし、私がみたのは日本語ページだけであるから、割り引いて考えてほしい)、「日本語を勉強する理由」といったようなそのものずばりのページを発見できなかった
 一方、日本に留学する上位の理由のひとつは、やはり、日本語・日本文化を学習することなのである。

 やはり、国際化ということを考えるのならば、われわれが、もっと日本語を習得する(してもらう)、ということをその要素のひとつとして前面に打ち出すということも必要だろう。

 いくつかの言語学者の書いた文も読んだことがあるが、日本語にも特有のメリットがある。まあ、それは、ここでの本筋ではないのでここでは書かない。

 しかし、日本が翻訳大国であることは、日本語を学ぶことの大きなメリットだ。しばらくすると中国も追いついてくるだろうが、少なくとも現在、岩波文庫のような、低廉かつ、世界的に定評のある書物に手軽にアクセスすることのできる言語を私はほかに知らない(ネットの無料の文書を除く;なお、岩波現代は、やや高いのが難点だ・・・岩波書店の責任では全くないだろうが)。さらに、「全集」の類もものすごく発行されている。
 このことは、日本語を知っているものが、研究といった点で自動的にかなり有利な立場にあることを意味している。あえて言えば、多くの日本人は、同時に英語も知っているので、世界的にみれば極端に有利な位置にあるということだ。現実には、あまりそういった自覚がないだろうが。

 こうした、世界の多くの書物が訳されているという事情と同時に、日本語の書法(漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットの混じった文)から、一旦マスターすればかなり早く読むことができるという利点がある。

 我々は、仮に国際化を図ろうというのなら、もっと日本語に自信を持つべきだし、宣伝に力を入れるというよりは、日本自身をもっと魅力のある国にしてゆくことで、そうすべきなのである。

シリーズつづきの記事;「10, 望ましい国際化方策編」
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2009.07.15

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(8, 留学生30万人計画の現実性編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (8)

 前回「混乱編」のつづき。グローバル30作戦の背後にある留学生30万人計画との関連で書くことにしよう。 

 シリーズ第4回「教職員・大学院生への影響編」で、文科省の掲げるグローバル30(国際化拠点整備事業)にとって英語コースはどうでもよく、留学生数などの達成目標が重要なのではないかと書いた。再掲しておこう。

 ということは、文科省側としては、「目玉」であるはずの「英語コース」はむしろどうでもよく、あえて言えば5年たったら放り出しても構わないようにも読める(先に言ったように、大学は、一旦はじめた事業を放り出すのは困難だが)。
 それより、前回取り上げた留学生数および外国人教員の「達成目標」、および、雇用する日本人教員の「国際化」の方がむしろ「本丸」のように見える。

 今回は、こういった話の現実性について取り上げることにする。ただし、日本人教員の「国際化」については取り上げない・・・正面から取り上げるには重過ぎるテーマだし、今までも、ちょっとずつ取り上げた。また、関連する話は別立てで取り上げるとする。

(シリーズ全部を一気に表示したい場合は、右側の「カテゴリー」の「グローバル30(国際化拠点整備事業)」をクリックすればOK。)
このシリーズ全体の目次(第1回)

 まず、外国人教員についてだが、彼らが短期で客員教員として国内で教鞭をとったり、研究会に参加あるいは主催するといったことは十分ありうる話であり、多くの人が歓迎するだろう。
 問題は、常勤教員としてどれだけ日本に来てくれるか、ということだ。どうも、日本が門を広く開放しさえすれば喜んで日本で研究・教育をしようという人(外国人)がわんさと押し寄せるという観念があるようだが、たぶん、妄想である。(日本がカネをばら撒きさえすれば、日本が国連安保理の常任理事国になるという妄想もあったが、客観的状況を考えないという点では似たようなものだ)

 確かに、日本は世界的に見ても特有の魅力ある国だ。しかし、魅力を感じる人がイクォールそこで生活する人かどうか、ということになると、たぶん違うだろう。
 これも、前に語ったように、私の空想ではなく、現実に「世界」から人材を集めようとするときに直面する問題である。
 現在、日本の大学で活躍する外国籍の、または、外国に元は籍を持っていた人はたくさんいる。彼らのおかげで、日本の大学にかなりの多様性がもたらされ、研究や教育といったことのみならず、大学運営にも大きな役割を果たしていることも多いだろう。
 しかし、一方で、そうした人を新たに集めるということがある程度困難なことであるということも(超一流校などは知るところでないが)否定できない。「さまざまな理由」で、日本が求める、国外に根を持つ人材の資質のイメージと、彼らが現実に持つ資質とは必ずしも一致するものではないのだ。(なお、言うまでもないだろうが、私は「外国人排斥論者」ではない)

 教員の問題よりもより問題なのは、学生の方だろう。特に問題なのは「留学生30万人計画」のキモの「30万人」という数字である。

 前にも指摘したが、「30万人」という数字は、中教審の審議では「留学生交流の将来予測に関する調査研究」という一橋大学横田雅弘氏の研究(http://www.kisc.meiji.ac.jp/~yokotam/relatedresearch.html)に出てくるが、これは、福田康夫(元首相)氏が2008年冒頭の施政方針演説よりそこそこ前のものなので、直接福田氏と30万人という数字の間には関係がないものと判断する方が妥当だ。

 そして、その研究自体、15年後(2025年)の留学生は予測としてせいぜい23万人であり、32万人という数字の達成にははかなり強力な留学生増加策をうたなければならない、としているものだった。

 また(私が)どこでその研究を見たか記録していないが、中曽根時代に表明された留学生10万人計画の成功理由がいくつか述べられている文書があった。それによれば、次のような点が指摘されている。

 ・中国がちょうど留学生を送り出すのにふさわしい国内状況であったこと、これは、中国国内での人口分布、および、高等教育機関の不備があった
 ・一方、日本では、留学生を国内の産業に組み込むような国内状況であったこと

 しかし、現状では、これらの状況は失われている。中国国内で高等教育機関がかなり整備されてきているし、日本が中国との比較で、かつてほど就業という点で魅力のある国でなくなったことは明らかだ。もっとも、中国でも、学卒者の就職状況がよいとは全く言えない状況ではあるが。

 そうしてみれば、「留学生10万人計画」が成功したから「30万人計画」も多少の努力で成功するとはいえないだろう。まして、中教審の委員会で審議されたように、かつては政府によるカネの手当てもある程度見込むことができたが、今後はどうだろうか。現在国が支出する400億円の留学生関係予算を1,200億円にする、というわけにもいかないだろう。

 とすれば、まず、マクロ的に見て30万人計画のしかるべき時期での達成には困難が予想されるところだ。ミクロ的に見ても、以下のような問題がある。

 「グローバル30」には、留学生受け入れノルマがあることもシリーズ第3回で指摘した。採択された大学は、現在の留学生の数に応じて1,000人から2,300人の留学生を新たに受け入れる必要がある。

 これをざっと計算すると、13大学で25,000人程度の留学生を新規に受け入れることになる。さらに、早稲田大学が表明している「8000人計画」を含めて考えるなら、このグローバル30第1弾だけで「30万人計画」に必要な18万人の増加分の1/6(30,000人)を調達できることになる。今後、第2弾、第3弾があろうから、この「グローバル30」だけで、かなり目標達成に進むことができるのではないだろうか。

 しかし、よく考えてみると、これはミクロ的な数字の積み重ねである。ということは、現在「グローバル30」に認定されなかった大学に留学しようとしていた人が、「グローバル30」に採択された大学にシフト(横滑り)するという効果を全く除外して考えているのだ。

 もし、例えば中国から日本に留学する人全体の数、というのが、中国の国内事情や、入管の事情、日本の日本語学校の事情で制約されているのなら、「グローバル30」事業は、単に日本国内で中国(別に中国でなくてもよいが)留学生の大学間分布を変えるに過ぎない。

 もちろん、これは極端論だ。しかし、そこまで極端ではないにせよ、グローバル30のノルマで「30万人計画」をそこそこ達成しようというもくろみは、一定程度括弧に入れて考えておく必要がある。

 さらに、このシリーズを通して言ってきたことがある。この留学生30万人計画を、減少する日本国内の学生の補完として考えるのではなく、純粋に「学生の増加分」として考える、一部大学の経営陣の発想が極めてバブリーなものであるということだ。

 彼らは、ひょっとすると、自分の経営する大学のブランドに自信があり、留学生の「枠」(そういったものを設けるとして)を拡大しさえすれば、そして、それに伴って必要な投資(とちょっとした学生募集などの努力)を行えば、1,000人から2,300人の(早稲田除く)留学生の増加は自動的にもたらされると思っているかもしれない

 それはそうかもしれないが、シリーズ第6回「思惑編」で見たように、必ずしもきちんとした「市場調査」に基づいているとも言えないようだ。

 大学のような教育産業の収益-費用構造を考えよう。現在、安定した経営が行われているとしよう。そこでは、一人二人、受講者が増えたところで限界的に増える費用はわずかだ。ところが、百人千人と受講者が増えると、その百倍千倍でよいということにはならない。ある程度増えれば、校舎を新たに設置する、教職員を雇うなど大規模な投資が必要となる。
 校舎について言えば、それでも土地に余裕のある大学なら校舎の建設費用だけで済むが、そうでなければ新たな土地を求める必要がある。従来の大学の隣接地が得られないのなら、それだけで、大学の一体的な運用に支障をきたすものだが、よりにもよって、今回グローバル30に採択された大学は全て都会に立地しているので、もし、学生数を純増するなら、かなり大規模な支出が必要となる場合も十分考えられる。

 そうでなければ、前にも見たように、従来型定員を減らすという、正道を進む必要がある。

 しかし、おそらく留学生から得られる収益は「従来型日本起源学生」ほど安定した予測はできないだろう。とすれば、このこと(従来型定員を減らすこと)は私学にとっては魅力的な選択とはいえない。特に、グローバル30に採択されたような大学では、従来型定員を確保するのに四苦八苦、とまではいえないので、まあ、比較的そうだろう。

 国公立にはこうした制約はないようにも思えるが、独立行政法人になっており、収益を無視できないということがひとつ、そして、独立行政法人になっていても、日本国民の(こうした教育とか文化とかいった分野での)税に関する意識はかなりシビアーなので、「従来型日本起源学生」の定員を減らし、留学生の数を増やすといったこと、また、それに伴ってカネの「使い先」も変更されること、を日本国民がどれだけ許容するか疑問であるということがもうひとつある。

 結局のところ、「グローバル30」によって「留学生30万人計画」がどの程度推進されるかは、日本全体を考慮するなら、そこそこ割り引いて考えなければならないだろうし、また、採択された個々の大学にとっても、必ずしも目標達成がスムーズに行われるとも言えないだろう。

 「国際化」というものを「善」あるいは「必要」などと政府(や財界、ひょっとすると大学関係者や国民)が考えるとしても、「計画」のような形で政府が音頭をとって、それにあわせて国公立、私立の大学がそろって踊るという形には無理があるといえる。しかも、単なる音頭ではなく、補助金というアメと、監視というムチ(?)つきだ。

 私から見れば割にあわないこの「グローバル30」に錚々たる大学が応募したというだけでかなり驚きだが、採択された大学の一部で無邪気に喜んでいる向きがあると言うのはもっと驚きだ。

 今後のことを真剣に考えているのだろうか。

 つづく。

このシリーズ
つづきの記事;「日本の大学学部で英語で授業をすること編」
前の記事;「混乱編」

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2009.07.09

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(7, 混乱編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (7)

 このシリーズのほぼ終結部にあたるこの「混乱編」および次回の「留学生30万人計画の現実性編」では、グローバル30や留学生30万人計画の予想される問題点を指摘することにする。

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このシリーズ全体の目次(第1回)

混乱1;日本語の講義がかなり減少する

 教育再生会議などで語られていた大学における英語の授業の目標比率は30%である。当たり前だが、「英語で講義を行う」ということは「日本語で講義を行わない」ということを意味している。
 現在の日本語の講義の42%分が英語で新たに開講され、日本語の講義はそのままなら、日本語を使う学生(典型的には日本で生まれ育った学生)へのサービス低下は生じない。しかし、そんなことは誰も予想していないだろう。確実に日本語の講義は閉講されるか、英語での講義に転換を余儀なくされる。

 混乱1';講義がわからない学生が激増する、または、講義のレベルが著しく低下する
 現在の高校3年生、あるいは、それが少したった大学1年生の(あるいは大学2年生でもいいが)英語の理解力はかなり限定的だ。
 確かに、2つの事情で、高校3年時点での英語に関する状況は極めてよくなっている。ひとつは、英語圏で一定の月日を過ごした帰国子女が増加しているからである。また、数10年前と比較するなら、英語への接触の機会は非常に多い。
 しかし、それにもかかわらず、先に述べたように、多くの人の能力は限られている。
 その理由は、外国語に接する量があまりにも不足しているからである。ここは外国語教育について述べる場ではないので、彼らに、現在の日本語で提供されている講義サービスと同等の内容を、英語による講義で置き換えることはほとんど不可能―というより、はっきり無理だと言うにとどめよう
 もしかすると、今回のグローバル30で選ばれた大学に入学するような学生なら可能だ、という誤解があるかもしれないが、現場を知る教員からすれば、一部はそうであっても、多数は決して英語による同等の理解というのは不可能であることを理解しているはずだ。

 混乱1'';不満がうずまく
 「30万人計画」が達成されたとしても、大多数の学生は日本出身なのだ。どのようなサービスを提供するかは、よほど慎重に考えなければいけない話だろう。2つの、内容は同じだが使用言語の異なる講義があり、1つは9人の需要があり、1つは1人の需要がある。どちらを選択すべきかは「民間の発想」なら自明だ。
 「日本の出版界」とかが、「日本の読者」を「国際化」するために、自分の会社の出版物の30%を英語にするという政府などの方針が出されたときに、それに従う出版社というのは全くもって考えにくい。
 いや、もうちょっと政府などの考え方はふるっていて、日本の出版物の30%が英語だと、日本で過ごしたいという人がわんさと(それこそ、ゴマンと)増えるというのだ。まあ、過ごしやすくはなるだろうが、そんなに日本で英語で出版されている本を読むために人が来るだろうか?
 それより、単に日本国民の多くが本に対する需要を減らすだけだろう。
 私が学生であったとして、英語の講義だらけであったら、困惑するだろう。日本語で講義してくれたら、どれだけわかりやすいかしらないのに、と。「学生による授業評価」で、「授業がわかりにくい」という評価が激増しそうだ。

 混乱2;入り口
 同じ大学の学生で、「在来型日本出身学生」と「留学生30万人計画型国外出身学生」の間で、軋轢が生じることはほとんど不可避だ。

 最初に大きな問題として立ちふさがるのが、(留学生の)質と量を両立させることは並大抵ではないということだ。これが工業製品ということであれば、それも可能だが、人間というのはそうはいかない。ということは、日本で留学生を増やそうとするなら、ほぼ必然的に平均的な質は低下するということになる。むろん、努力でなんとかなる部分もあるし、例えば、中国以外の新興国から留学生を受け入れる、とかいったことは有望な考え方だ。しかし一方で、中教審の議論でも、英国などと競争するのは無理だ、との声もあるほどである。
 今回のグローバル30に採択された大学は、その内実はともかく、世間的には「一流大学」として通っている大学ばかりだし、世界的に見ても「超一流大学」と見られる大学も含まれている。
 しかし、中教審の議論を見ると、留学生の質をどう確保するか、に焦点が当てられていないわけではないものの、結果的に、量に焦点が当てられているという感想を否めず、このあたりのアンバランスをどうするのかということは真剣に検討されていない。

 例えば、東大をとってみると、「東大を卒業する」というのはそれだけでひとつのステータスだ。しかし、このことは実は、「東大に(卒業ではなく)入学することができた」ということとほとんど意味が違わないというのが日本の「伝統的な」考え方なのだ。
 しかし、「グローバル30」によれば、「東大に入学することができた」などという方(ほう)は、留学生にとってはかなりハードルの低いものになる。彼らは、日本国外での簡単な審査でも日本の一流大学に入学することができるのだ

 日本政府の海外学生獲得作戦は、「『留学生30万人計画』の骨子」とりまとめの考え方に基づく具体的方策の検討(とりまとめ)の「2.留学生を引き付けるような魅力ある大学づくりと受入れ体制」 にある。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/attach/1249706.htm)

 そこでは、見逃すことのできない文句がある。

他国の大学等では、個々の留学生の受入れについて判断できる者により、留学フェアの場など現地で面接等を行い、合否を事実上決定しているものもあるが、我が国の大学等についても、このような海外におけるリクルーティングに対する積極性が求められる。

 この「積極性」とやらについては、さすがに中教審でも問題にされたが(留学生特別委員会第7回)、ほとんど全く文科省の書き方に変化はない。
 いずれにせよ、なんと、日本の「一流大学」に「留学フェア」などでの「面接等」で合格が決まってしまうというのである。現在の大学の「序列」を考えると途方もない考え方だ。

 中国にも一流大学はあるし、世界で東大が「最高の」超一流大学である、というわけでもない。それに、中国国内でどんどん大学が整備されてきている。そのことをあわせて考えると、今後は相当、入学生のレベルが低下してゆくことが避けられそうにない。

 しかし、現在のように受け入れた学生は大方卒業させ、学位を授けるとしよう。そうであれば、既存タイプの学生が不満、あるいは被差別感を抱くことは十分予想されるところだ。我々はあんなに苦労して東大に入学したのに、彼らはそうではない、しかし、同じ扱いで同じ「東大卒」だ、と。また、仮に留学生の就職の際に「東大卒」という看板がものをいうとしたら、もうひとつ別の被差別感が生まれるだろう。

 もちろん、日本の大学がもっと一定のレベルに達しない学生をガシガシ落としてゆくなどを通じて「質保障」をしっかりするなどのスタイルにし、一方で、例えば東大が日本国内の学生も、留学生と同じレベルのところまでたくさんとる、といった「イクォール・フィッティング」をするなら話は別だ(そして、それは、ひとつの考え方だ)。
 しかし、それは既存の大学の序列や「秩序」を破壊する行為にもなりうる。
 今回採択された大学に、そこまでの覚悟があるだろうか。

 とりわけ問題なのが、英語コースだ。英語コースが、留学生だけに限られているのではなく、日本出身の学生にも開放されている場合、どういったことになるだろうか(Q&A追補版では、開放は可能になっている)。社会実験としては興味のあるものだが・・・

 混乱3;入管
 留学生30万人計画を達成するために必要な18万人という人たちを、全く中国からの「供給」に頼らずに「調達」できると考えている人はよほどの楽天家だろう。
 しかし、この中国からの留学生というのは、彼らが望めば日本に来ることができる、というようにはなっていない。なぜなら、入国審査の強弱で、彼らは入国を認められたり、拒否されたりするからだ。過去に、「留学生による犯罪」が問題になった時期があり、その後、審査が厳しくなった時期もあった。
 ということは、今後、日本への留学生を増やそうとしても、入管がネックになることは十分考えられ、従って、中教審であるだとか、日本経団連がこれを問題にしたわけである。
 留学生の「質」というのは、限界的にどんどん低下することは明らかなので、例えば、中国からの留学生を今の2倍に増やそうとしたときに、審査される学生が2倍で済むということにはまずならない。もっとたくさんの審査が必要だ
 どのぐらい、文科省とか大学はこのあたりの事情を真剣に考えているだろうか。

 混乱4;出口
 90年代に、文科省が大学院の強化、を打ち出したときにも、さしたる出口戦略が見られたとはいえなかかったし、今もそうだ。修士課程で就職できた人はまだよかったが、博士課程を出てもなかなか就職できない人たちを大量に「生んで」しまった。その責任は、文科省(当時の文部省)と、観念論を振りかざすその一部の仲間たちにある。
 文科系についていえば、修士や博士を出た人なら、かなり専門的な知識を持っているので、企業も喜んで高待遇で採用するはずだった。はじめから、ほとんどの人には、そんなうまい話があるとは思えなかったろうが、それを国策として推進したのが文科省である。そのため、今では、(言葉は悪いが)三流大学にすら博士課程まである始末だ。「一流大学」ですら就職に四苦八苦しているのに、どうするつもりなのか。
 前にも書いたが、今回の議論では(外国人を国内に呼び込もうとする一方で)院生に国外への留学さえ要求している。では、いったい、国内の大学院というのはなんなのか。

 人の運命をもてあそぶのもいい加減にしてほしい。

 それと同じことが、今回の「30万人計画」で再現されないという保障がどこにあるのか。今回は留学生の就職問題だ(それに自身についても、もっと検討されるべき話だろう)。相変わらず、財界頼みで、「お願い」を繰り返している印象は否めない。しかし、「前回の」(しかし清算されていない)失敗である大学院強化策すら、結局大量の「職業ミスマッチ」を残したままではないか。
 一方、留学生が引っ張りだこになる、という事態もまた、やや慎重に考えておかねばならないだろう。
 責任をとれないのなら、はじめから、このような計画経済的政策はやらないべきなのだ。

 混乱5;大学再編
 前にも書いたが、現在の大学がそのままであってよい、とは私は考えていない。しかし、「留学生30万人計画」をテコとするこの大騒ぎには、どことなくうさんくささがただよう(シリーズ4回目教職員、大学院生への影響編参照)。
 前にも書いたが、これによって、新規教員採用を延期して収支を改善しようだとかいったことのほかに、次のようなことがある。

 大学の総在籍者の増加。18歳人口が低下しようという現在、信じられないかもしれないが、そう動いている大学は存在する。現在の定員をそのままに、留学生を増やそうというのである。ここには、留学生30万人計画が、18歳人口低下に対応して出てきたアイディアだということはすっかり忘れられている。もし、覚えていれば、従来型定員を減少させるべきだ。
 そうでないから、新しい土地を取得して、新しい建物(留学生宿舎含む)をつくるといった、バブル期さながらの右肩上がり妄想が見られる。これは、私の妄想ではなく、現実にある話だ。

 人文社会系のパージ。財界が要求している人材は理工系である。従って、人文社会系の人材はむしろ無駄である。私も、経済系の学生定員は多すぎると思う。しかし、だからといって、人文社会系が不要ということにはならないとも考えている。まあ、これもここで語るべきことではない。
 しかし、大学という場所を、文科省であるだとか、大学経営陣とかは、自分たちの好きにできる「教育の場」として捉えすぎだ。そうした側面があるにせよ、カネを払っているのは学生の方なのだ。彼らに「学習の場」を提供するのが本来のあり方のはずだ。
 従って、どのようなジャンルを学習したいのか、は究極的には学生に任されるべきである。
 各大学ができるのは、そのような意思を汲み取った大学再編をすることでしかなく、文科省が理工系を強化せよ、と間接的に誘導するからそうする、というのは邪な発想である。

 以上のようなことは、文科省や中教審の委員会、大学経営陣にははじめから十分予想されていたはずだ。

 しかし、崖に向かって突っ走り、そのままジャンプしてしまった―谷に向かって。

 もうひとつの「混乱」については、次に書こう。

つづく。

つづきの記事;「8, 留学生30万人計画の現実性編」
前の記事;「6, 思惑編」

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2009.07.07

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(6, 思惑編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (6) 

 6回目。このグローバル30作戦、あるいは「上位の」留学生30万人計画は、どのような思惑によって裏付けされているのだろうか。

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このシリーズ全体の目次(第1回)

 主に3つである。
 ひとつは、留学生である彼らを将来の労働者と考える見方である。彼らを新たな永続的消費者であると見なす見解も似たようなものだと判断されるだろう。
 もうひとつは、彼らは、日本文化の友好使節となるのであり、例えば国家安全保障にも役立つ、とするものだ。いわば、ソフト・パワー的な発想である。可能なら、彼らには単に日本人に精神的刺激を与えるということだけではなく、日本人との国際ネットワークを築くことも期待されている。
 3つ目は、これを機に、現在の日本の大学をとりあえず破壊したい、とする考え方である。英語だとか、留学生だとかはどうでもよいが、とにかく破壊すると、そのうちに(今のところイメージはわかないが)すばらしい大学に再生する、という考え方だ。
 
 あえていえば、その他に、単に「国際化はすばらしい」とか「国際交流ってステキッ」とか、「英語はなんといっても国際語だ」といったような、どうも、頭のあたりになにかが咲いていて、そこにハチかアブがたかっていそうな考え方もある。
 もうひとつあるとすれば、なんだかよくわからんが、お上の言っていることだから間違いないに違いない、とか、彼らが「認証」する「マーク」をお守りにしておこうといった、単なるコンフォーミズムだろう。彼らは一方では「小さな政府論」とか「官僚悪玉論」とかを唱えているかもしれない。

 最後のの2つは論評に値しないが、問題なのは最初の2つである。3番目については後で触れる。この2つの考え方の相性が悪いにもかかわらず、同じ旗を振っているので問題なのだ。
 
 最初の考え方からいえば、留学生は日本国内にとどまって就職してもらわなければもらわないと困るのである。しかし、後の考え方からは本国に帰って日本の素晴らしさを吹聴してもらわなければならない。
 最初の考え方からいえば、日本語ができることは必須である。しかし、後の考え方からいえば、別にどっちでもよい。自国の言葉で、日本のよさについて語ってくれればよいのだ。

 こういった考え方の差があるので、同じことを語っているようで、異なるものを実際には考えているのである。
 
 それが端的に現れるのが短期留学についての考え方である。明確に言えば、最初の考え方からすれば、国が短期留学について何らかのカネを使うとすると、それは無駄なものに他ならない。払った法人税などを返せ、というわけだ。払ってないカイシャも多いけど。
 
 例えば、日本経団連の「競争力人材の育成と確保に向けて」という2009年4月14日付けの文書がある。(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2009/036/index.html)ここでは、短期留学については見るところ、全く言及がない。
 同じく、英語による講義についてもこうだ。

 政府の「留学生 30 万人計画」で掲げている国際化の拠点となる 30 大学の選定(「グローバル 30」)と英語の授業で学位が取得できる課程の増加は、これまで日本語がネックとなり留学を考えて来なかった潜在的な外国人学生をわが国に惹きつけるという点で有意義な取り組みである。ただし、留学生政策は、外国人学生に日本語を学び、また日本文化にも触れてもらうことで日本の良き理解者を増やすことも重要な目的であることから、「グローバル 30」の大学では留学生に対する日本語等の教育をこれまで以上に充実させ、その成果を「グローバル 30」事業の評価対象に加えることが必要である。

 「理解者」といったレトリックが使われているが、その実、いたるところで日本経団連の文書は企業で雇われた際の日本語能力の重要性を強調しているのである。結局、英語もよいが、日本語が重要であるとクギをさしているわけだ。「有意義な取り組み」という言葉に冷ややかさを感じないだろうか。
 
 日本経団連が留学生に関し大学に期待していることは、もちろんしっかり学習した「優れた人材」を供給することもある。しかし、文章を極めて率直に読むとこうなる。ひとつは、大量の学生を日本にリクルートしてくることであり、もうひとつは、大量にリクルートした学生のうち、「不良学生」をはじき出してゆき、最終的には残った「優良学生」を企業に供給することである。この文章にはないが、もうひとつ、大学は、留学生に「日本文化」を学ばせ、どんな理不尽な命令にも(あるいは不法行為でも)上(ウエ)の命令とあれば従順に従うといったタイプの人間に彼らを改造することも期待されているのだ。
 もちろん、これもひとつの首尾一貫した立派な考え方だ。企業の利益を考えるのなら、そうなるかもしれない。
 
 2番目の考え方も、「国益」という観点からは否定はできない。日本に留学した学生は、日本への印象を良くするようだ。 日本学生支援機構の「平成17年度  私費外国人留学生生活実態調査」(http://www.jasso.go.jp/scholarship/ryujchosa17.html)参照。
 問題は、カネや労力の点で、やや問題があるということだ。「国益」といった考えから、それに見合う収穫は得られるのか明らかではない。
 それに、例えば諸外国では、サマーコースを含む語学学習を、大学ではない語学専門機関に「アウトソース」することが頻繁に行われているが、例えば「グローバル30」では、大学丸がかえで語学教育をしなければならないかのようだ。日本語学校を利用するとかいった発想はない。
 「日本文化」といった言葉も、おそらく1番目の考え方と2番目の考え方ではかなり異なっており、前者は正確には「日本の企業文化」とか、ありていにいえば「他人との付き合い方」「しきたり」のことであるのに対し、後者は普通の意味での日本の文化のことだろう。
 
 そういった意味では、「グローバル30」に取り上げられた内容は、文科省がこうした2つの勢力の考え方を取り入れながら作成したものとも考えられる。というのは、双方にとってそんなに問題ある内容にはなっていないからだ。ただし、どちらかといえば後者のほうに分が悪いだろう。
 
 この2つは、いわば何を「国益」とするかの見解の相違だ。
 
 しかし問題なのは、実は、(大学という小さな組織の問題に過ぎない)3番目の見解である。例えばこうだ。

 極端に言うと、留学生30万人計画をもって大学を初めとする教育機関の中身をすべて変えるきっかけになると思う。つまり、教育の仕方や大学の運営の仕方から、これが一つの大きなきっかけになって、改革が始まるのではないかと思っている。ですから、外国人のためにだけということでなくて、日本人の学生のためにも、授業やコンテンツのレベルをいかに高めるかということを含めて、今回を良い機会にしたいと思う。(中教審留学生特別委員会 第8回)

 なぜ問題なのかというと、実は現在のところ、「先進的」な大学(早稲田であることはすぐわかるが)でも、なにやら確たるヴィジョンがあってやっているわけではなさそうだということなのだ。
 次の会話を見てみよう。

 中曽根プランを実現するに当たっては、一般会計予算だけでも5倍になっている。特別会計を入れると恐らく七、八倍にはなっているだろう。留学生の数を10 倍にするのにこれだけかかっている。宿舎については実際10倍近く手当てされているだろう。こういった予算措置があまり今後期待できないとすれば、いろいろな工夫をしていかなければいけないというのがさきほど発言の趣旨だと思うのだが、特定の大学で、例えば留学生数を2,700人から8,000人にする場合、それにかける費用はどうするとお考えか。

 それについても、理事会の中で若干議論が始まっているところだ。試算すると、相当大きなお金が必要だというようなことがわかっている。私立だと、資金源もそれほどいろいろなものがあるわけではないので、なるべく費用はかけずに、何とかしなければいけないが、これは非常に難しい。
しかし、8,000人にすることによって、今までの大学のすべてのやり方、教育から、あるいは事務組織から何からすべて変えなければいけないので、相当大きな変革になる。ある意味では、8,000名計画を大学改革の一つの大きなきっかけになるはずだ。いわゆる開かれた大学になるだろう。(中教審留学生特別委員会 第5回)

 統計学的にいえば「非常に難しい」というのは「ほぼできない」の言い換えである。ということは、この「先進的な大学」でも、8,000人留学生計画というのは現在のところ、絵に描いたモチだと自ら語っていることに他ならない。そこまで言わないにせよ、大きな鏡餅のはずが、単なる切り餅だった、ということぐらいは言えるだろう。
 
 しかし、それでも「大きな変革」になるのだからヨシ、としているようだ。その「大きな変革」というものがいかなるもので、それが達成された暁にはこうなる、それはこれほどすばらしいからやる、といった説明のしかたではなさそうだ。
 「30」万人計画同様、アドバルーン先にありきだ。しかも、13の不幸な大学たちでは、そのアドバルーンを「グローバル30」に採択されたためにおろすことができなくなってしまった。

 経営陣も努力はするだろうし、さらに、教職員はなおさら努力させられるだろうから、結果的によかった、となるかもしれないが、第1回でも書いたように、経営陣は「グローバル30」の認定第二弾もおそらくあったろうから、彼らは明らかに拙速だった。

 大学という組織を眺めてみて、私は問題がないとも思わないし、「カイカク」も必要なのかもしれないとも思う。しかし、私が彼らと異なるのは、「カイカク」と名前がつけばいかなるものでも良い/正しいという、妙な右肩上がり発想(あるいは進化主義)を持たないことだ。
 
 どうも、先の戦争で見せつけられたことだが、日本人は物事について「こうなればこうなる」ということを筋道立てて考えることが苦手なのではないかと思わざるを得ない。それより、スローガンとか、乾坤一擲の突撃とか、手近な成功体験などのヒューリスティックとかいったものに頼りがちなのではないかと思う。

 大学のような、えらい経済学者や経営学者の方々がいるところでこうだ、というのは、日本の謎の一つだ。

つづく。

シリーズづづきの記事;「7, 混乱編」
シリーズ前の記事;「5, 起源、経済財政諮問会議編」

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2009.07.05

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(5, 起源、経済財政諮問会議編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (5)

 私がこの「グローバル30」を研究し始めた際、公募要領に現れるような表面上の字句と共に、なぜこのようなアイディアを国家として実行に移すこと のなったのかを調査した。いまだもってそれは明白ではないが、経緯は大体明らかになった。そこには、民主主義とか、冷静さとか、合理性とかいった言葉はな かった。

 シリーズ全部を一気に表示したい場合は、右側の「カテゴリー」の「グローバル30(国際化拠点整備事業)」をクリックすればOK。
このシリーズ全体の目次(第1回)

 アイディアを究明するための最初の取っ掛かりとなったのは、「公募要領」のP.2だった。「「経済財政改革の基本方針2008」(平成20年6月27日閣議決定)や「『留学生30万人計画』骨子(平成20年7月29日文部科学省・外務省・法務省・厚生労働省・経済産業省・国土交通省策定)」等を踏まえ、」との一文である。

 しかし、もちろんこれにはベースがあるはずなので、関連するところの中教審のワーキング・グループ、委員会、官邸に設置された教育再生委員会、教育再生懇談会の議事録をひととおり眺めた。それによって、この考え方を支えるものを見つけ出すことができるかもしれない、と考えたのである。 

 残念ながら、それは徒労に終わった。「グローバル30」はほとんど、そういった会議とは無関係に天下り式に降ってきたものだったのである。

 上の赤で書いた2つの文書に至る流れを要約して書くことにする。ただし、必ずしも時間順ではない。

 1) 教育再生会議では、実はこうした(グローバル30の英語コースのような)話はほとんど全く議論されていなかったのだが、第7回(2007年4月23日)会議の際に、突如、経済財政諮問会議、総合科学技術会議、イノベーション25戦略会議、アジア・ゲートウェイ戦略会議、規制改革会議の資料が提出され、関連者が会議に現れる。

 経済財政諮問会議;伊藤隆敏氏、総合開発会議;薬師寺泰蔵氏、イノベーション25戦略会議;黒川清氏、アジア・ゲートウェイ戦略会議;伊藤元重氏、規制改革会議;八田達夫氏。 われらがミスターKも3人いらっしゃいますな。
 そこで、薬師寺氏から、「入試、内外無差別で、英語で実施」「教員の外国人比率を5年で倍増する」「一部の授業は英語にして多くの留学生に魅力ある大学にする。」との発言が飛び出す。
 1-6回では、ほとんど議論らしい議論はなく、数人の委員が英語や国際化について単発的に発言していたのみで、体系だったものとしては野依良治座長が大学院教員(学部ではなく)の国際公募に6回目で触れていたぐらいだった。

 というわけで、伊藤元重氏から「もう皆さんには釈迦に説法でございますけれども、グローバルな視点から、大学教育を考えない国はもうないわけです」といわれても、「美しい国」などについてヨタ話を繰り広げていた教育再生会議のメンバーは、一部(3人、野依氏、中嶋嶺雄氏、川勝平太氏)を除いて全く「国際」とか「英語」とかいったことを考えていなかったので、寝耳に水の話だったろう。伊藤氏は、おそらく、議事録を読んでおらず、一緒に加わったほかのメンバーの見解が極めて自分の見解と似ていたので、再生会議で国際化といった話が取り上げられたものと錯覚したのだ。

2) 教育再生会議の第二次報告(2007年6月1日)に次のような文句が入る。(一部を収録)

「提言2 国際化・多様化を通じ、世界から優秀な学生が集まる大学にする (9月入学の大幅促進、教員の国際公募、英語による授業、国家戦略としての留学生政策、企業・社会との連携)」
 「大学・大学院は、世界水準の卓越した教育研究拠点を形成するため、教員の国際公募、任期制の大幅な拡大などにより、世界トップレベルの教員の採用を促進する。 」
 「大学は、外国人教員比率の増や、女性教員の採用に努める。 」
 「大学は、英語による授業や、英語のみで卒業可能な体系的教育プログラムを拡大する。」

 いやはや、ほとんど全く議論していないことを「報告」として書くことができる神経には脱帽だ。ネットで拾ってきた文字列を「自分のレポート」として堂々と発表できる大学生も脱帽するに違いない。

 後になるが、12月25日の第三次報告には「大学における英語教育を大幅に改善するとともに、外国人教員の採用も進め、英語による授業の大幅増加を目指す。(当面、全授業の30%は英語での授業を目指す)」とある。「30」という数字の源泉はここだろうか?

3) 2007年6月19日の「経済財政改革の基本方針2007」(骨太の方針2007)に、次のような記述が入る。(一部略)

国際化・多様化を通じた大学改革
  教員の国際公募、外国人教員比率の増、英語による授業、国家戦略としての留学生政策を平成 20 年度から推進する。
  文部科学省は、「大学グローバル化プラン」(仮称)を平成 19 年内に策定し、アジアを含めた国際的な大学間の相互連携プログラムを促進する(単位互換、ダブル・ディグリー等)。また、各大学等による国際化に関する評価の充実を平成 20 年度に図る。
  平成 20 年度から、現地での募集・選考体制の強化、渡日前の入学許可、奨学金支給決定を行い、留学生受入れ拡大を図る。日本人学生の短期留学等の機会を拡充する。

4) 2008年の国会施政方針演説として福田康夫首相が「留学生30万人計画」を打ち出す。(2008年1月18日)
http://www.kantei.go.jp/jp/hukudaspeech/2008/01/18housin.html

 一橋大学の横田雅弘氏のグループが、将来の留学生の数などについて委託研究報告を出したのが2007年10月だから、「30万人計画」は福田氏オリジナルなものでは(たぶん)ないだろう。

5) 2007年12月25日から、中教審の大学分科会で「制度・教育部会 留学生ワーキンググループ」が開催される。しかし、これは2回しか開催されず、委員の陣容を増強して2008年2月22日から「留学生特別委員会」として再スタートする。
 しかし、これらにおいても、話の主たる内容はいかに(主にアジアから)留学生を集めて、教育し、「出口」を整備するかであって、大学(学部)における英語コースの設置についてはほとんど全く語られることはなく、極めて散発的な発話に終始した。

6) 2008年5月9日、経済財政諮問会議に「教育の大胆な国際化を」というペーパーが提示される。(http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0509/item5.pdf)。冒頭の方に「グローバル30」という言葉が出てくる。もちろん、提出したのは伊藤隆敏氏、丹羽宇一郎氏、御手洗冨士夫氏、八代尚宏氏の「民間」「議員」の方々。ここでは、学部で英語教育をするかどうかについてはやや不明瞭なところがあるが、大体において現在の「グローバル30」の姿が示される。

7) 2008年5月12日。諮問会議から3日後。中教審留学生特別委員会第6回。この日は、約1年前の「教育再生会議」第7回と酷似している。ここで、実質初めて、学部での英語による教育が議題に取り上げられる。第5回までと異なり、ものすごくたくさんの資料を渡される。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/020/gijiroku/08051408.htm)ネットで見ることのできる資料だけで24種類である。会議の時間は2時間。資料についての説明があった後、議論に入るが、少ない時間と多い論点で、一体どのような議論が可能だというのか?

 (ついでに言っておくと、この数日後、5月16日に、教育再生懇談会では「合宿審議」という茶番劇が繰り広げられる)

 そこでの議論を引用しよう。これは、取捨選択したものというよりは、悉皆的なものである。長いと思ったら、飛ばしていただきたい。

英語で授業を行うのは良いが、4年間ずっと英語だけで終わっていいのかという、つまり何のために日本に来ているのかというところがある。もちろん英語で学位を取得できることは大事なことだと思うが、飛躍的に増大させる必要があるのかいうことと、入学時に英語の能力があれば十分対応できるような大学としての教育の仕組みを作ることには大いに賛成であるが、特に海外でのリクルーティングを考えたときに、なかなか大学独自では難しいところもあるので、4ページ目の1でリクルーティングという項目があるが、第2パラグラフの3行目で、例えば日本学生支援機構が実施する日本留学試験や日本語能力試験といった既存の試験を積極的に活用しようと言っているが、ある意味では矛盾しており、日本留学試験では英語はなく、日本語能力試験は日本語だけである。つまり、ここで書いていることでは日本語で教育を受けることを前提とした渡日前入試というふうになっており、英語で授業を行うということを考えるのであれば、その仕組みを考えないと困る。

 英語の授業を一番最初に始めたのは東京大学のグループであったが、一方では日本語のサポートはものすごく、もう大変な数の人をリクルートしボランティアとして活用し生活レベルの日本語を徹底的に教えていた。このことからすると、英語で学位を取れるようにするということとその書き分けは少しする必要はあるのではないか。

 先ほどの英語の件であるが、ここにも書いているように、学部は英語で実施しているところは少なく、大学院が多い。したがって、学部学生は原則として日本語教育を中心に教育するということで、ある程度の日本語能力を持った方をリクルートし日本文化の理解してもらい、一方、大学院のは英語による教育を促進するというふうに少し温度差をつけたらいかがかと思う。
ただし、学部学生も英語教育も必要であるので、漸増することは必要であるが、これに向けてはやはり教員のFDや外国人教員の増加が必要である。

 英語のコースを増やすことと、日本語を行わなくて良いということは同義ではない。全体のトーンとしては日本にいてもらう人をなるべく増やそうということであるので、日本語は最重要である。

 こういったコースが日本で生まれ育った学生にどういった影響を及ぼすか、といった話はないが、いかにも唐突な話を聞かされたという印象が伝わってこないだろうか。
 しかし、この話が冒頭の2つの文書につながってゆく。

 結局、この「グローバル30」の目玉である英語コースは、よく練られて誕生したもの、というよりは、自分たちだけでエリートを相互自認している人たちの間で作り上げられた妄想の産物と評する方が妥当だ。

 恐ろしいのは、こうした、「エリートを自認する人」であるだとか、(一般的だと称する)特殊な経済理論を信仰する人たちが集まると、彼らが客観的に見れば極端にばかげたことを、いかにも冷静な風で語っていても、それがばかげたものであると自覚できないことだ。これは、集団心理学ではよく指摘されることだが、「敵」を勝手に作り上げた状態での集団分極化の一例だろう。
 教育再生会議第7回の中嶋嶺雄氏(アキタ・インターナショナル・ユニヴァーシティ、日本語訳はなぜか「国際教養大学」)の言を引こう。

 今日は、実に画期的な会議だと本当に感銘しました。
 私も長い間大学に関係し、国立大学、国立大学協会にも関係してきたんですけれども、結局大学の中からの改革ができなかったということだと思います。
 そのために、きょう5つの団体及び野依座長の教育再生会議が期せずして同じ方向を目指して本格的な教育改革、大学・大学院改革の提言をされたということは、大変画期的なことでありまして、こんなことは今までなかったことだと思います。
  したがって、今の5つの団体の御提言と教育再生会議の提言を合わせて本格的な改革の具体的なプランをぜひスタートさせていただきたいと、以上です。 

 どうも、思慮のある人間が取り合わなかったから、自分が空想するような意味での「大学の中からの改革ができなかった」ということがわからない者も、お仲間を得ると、それだけで自分の意見の正しさが証明されたと思い込むらしい。特殊な、小さいサークルでの「みんなの意見は案外正しい」ですか?

 繰り返すが、「グローバル30」はよく練られて出てきた作戦ではない。

 このようなものに付き合わされる関係者(むろん、学生・留学生・家族含む)は大変である。

つづく。

前の記事:「4, 教職員・大学院生への影響編」
つづきの記事「6. 思惑編」

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2009.07.03

文科省などが主導するグローバル30とはなにか(4, 教職員・大学院生への影響編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (4)

 シリーズも第4回目である。
 本題に進む前に、本日(2009年7月3日)、文科省から採択された大学、そして例の「海外大学共同利用事務所」8箇所がアナウンスされたのでそれに軽く触れておこう。しかし、後者にあたってしまった大学についてはご愁傷様というよりほかない。

「文科省の平成21年度国際化拠点整備事業(グローバル30)の採択拠点の決定について」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/07/1280880.htm

採択された大学;
東北大学 筑波大学 東京大学 名古屋大学 京都大学 大阪大学
九州大学 (以上、国公立大学、以下、私立大学)
慶應義塾大学 上智大学 明治大学 早稲田大学 同志社大学 立命館大学

 「国公立」「地域」のバランスは取れているものの、合計13校で、12校ではない。邪推になるが、ひょっとすると、辞退問題がからんでいるのか?国立は結局ほぼ旧帝大と同じ(留学生数の多い方から採択しても同じ)で、私立は一つしか落としていない。「常識的」な選考になっている。

 さて、今回は教職員・教員を目指す大学院生に対する影響をとりあげる。


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このシリーズの全体の目次(第1回)

参考サイト(日本学術振興会、ここから公募要領、Q&Aといった資料を見ることができる。)
http://www.jsps.go.jp/j-kokusaika/index.html

 その前に、1回目のおさらいをしておこう。
 グローバル30は、採択された大学に5年間のカネがわたるものの、一方で、義務を負う。義務の中には、学部・大学院での英語で学位を取ることのできるコースの新設や、留学生数をかなり増加させることなどが含まれている。

 義務の方は、5年が過ぎたら「はい、おしまい」というわけにはいかない。留学生数については少なくとも文科省の監視が2020年までは続く。また、一旦新学部や学科を始めたら、簡単に止めるわけにいかないのはこの業界の性格からして仕方ないことだ。

 したがって、一度グローバル30に対応したスタイルにしてしまったら、補助金が打ち切られた後でも、ある程度それをやり続けなければならない

 では、話を戻そう。職員については、要求されているところでは、外国人教員や留学生に対応できるようにせよ、ということだ。特定の外国語に強い職員の採用や、現在の職員に研修があるかもしれない。ただでさえ仕事が忙しくなっている折、困惑している職員も多いだろう。またグローバル30終了後どうするのか、という問題がある。

 大きな問題があるのはやはり教員のほうだ。

 公募要領や、Q&Aによると、英語コースには、(新規教員が必要なら)基本的には「外国人教員」を国際公募で採用しなければならず(帰化した外国人でも可)、さらには英語コースとは関係なく、日本人を今後雇う際には「国際的な」人材であることが「強く推奨」されているのだ。後の件は、Q&Aだけを読んでいると、日本人教員が「国際的」である必要があるのは英語コースだけだと読めてしまうので注意が必要だ。

 更に、英語コースの実施に必要な教員を確保すること。特に、新たに設置する、又は既存の英語コースにおいては、既存の外国人教員を配置するか、又は海外から優秀な外国人教員を原則として国際公募により招聘に努めること。(公募要領p.3、「英語による授業のみで学位を取得できるコースの設置 」パート)

  海外において通算して1年以上教育研究に従事した、または国外で学位を取得した日本人教員の雇用の促進が計画に盛り込まれていること。(公募要領p.4、「拠点大学の国際化 」パート)()

 ということは、グローバル30に採択された場合には、英語コースになんら関連ない学部・学科・コースであっても、「国際的」な日本人教員の雇用を促進しなければならないわけである。

 ちょっと意外に思われるかもしれないが、グローバル30の補助金を使っては、素直に公募要領を読めば、常勤の教職員を雇うことはできない。それは、公募要領の「別添1」にある「経費の使途可能範囲」の「人件費」の部分を読めばわかる。そこには、こうある。

2 雇用等経費
本補助事業を遂行するために必要となる者(大学等の教職員を除く。)を雇用等する場合の給与等に使用することができます。例えば、本補助事業において実施する英語による授業を担当するために採用した外国人教員の給与、住居手当等の諸手当、留学生が外国人教員とのコミュニケーションや、留学生への就職支援に専任の事務職員の採用に必要な賃金・手当等が挙げられます。(強調ほよっ)

 「大学等の教職員を除く」。これから読み取れることは、補助の対象になるのはまさに、最長5年間の有期雇用の教職員だ、ということだ。

 ということは、文科省側としては、「目玉」であるはずの「英語コース」はむしろどうでもよく、あえて言えば5年たったら放り出しても構わないようにも読める(先に言ったように、大学は、一旦はじめた事業を放り出すのは困難だが)。
 それより、前回取り上げた留学生数および外国人教員の「達成目標」、および、雇用する日本人教員の「国際化」の方がむしろ「本丸」のように見える

 その考え方を補強するように、「Q&A追補版」(p.1)では、英語コースの設置は補助対象になる最終年次(5年目)にしてもよい、としているのだ。ちょっと、笑ってしまう。

 実際のところ、一種パイロット・プロジェクトのような形で「英語コース」があるよりも、大学全体が「英語コース」でありうる方が、「国際的」な気がしないだろうか

 たぶん、そういった思惑があるのだろう。今回の英語コースにはわざわざこういう断り書きがある。(Q&A追補版、p.1)

Q2-5英語コースの学生は留学生のみでなければならないのか。日本人を受け入れることは認められないのか。
A.留学生と合わせて、日本人学生を入学させることも可能です。ただし、日本人のみを対象とする英語コースについては、留学生を受け入れるための環境を整備するとの本事業の趣旨に鑑み、適当とはいえません。

 いかにも、隔離されたコースという感じが漂わないだろうか。このタイプの学科ならすでに日本にもあるわけだ。しかし、それをもって「国際化」というには、やや物足りないだろう。

 私は、短期留学を大きな規模で募集するとか、とりわけサマーコースを実施すれば(かつ、低廉に宿舎を提供できれば)、結構世界各地から日本に留学生が来る可能性はあると思っている。しかし、それと、「学位が取れる」というような、4年であるだとか2年とかいった長期の留学は分けて考える必要があると考える。おそらく、そういったヘヴィーな留学生を世界各地から「かき集める」のは限界があるだろう。ヘヴィーな留学は、従来同様、アジア各地からの人に限られる可能性のほうがよりありそうだ。そして、アジア各地の人でも、英語を使いこなす人もいれば、かえって日本語を選好する人もいるに違いない。なぜなら、漢字がわかる人も多いということもあるし、その後のキャリアを考えた場合、日本語をマスターした方が有利だということもあるからだ。
 そして、まさにその「限界がある」方をターゲットにしているのがこの「英語コース」なのだから、これをものすごく強化すれば「留学生30万人計画」が達成される、と考える人はまず、いないだろう。

 ただその英語コースのために、まず、既存学部・学科の外国人教員が引き抜かれる可能性がある。次に、その「穴」や、(先に指摘したように)それ以外についても教員補充は、外国人か、「国際化」した日本人である、ということになりかねない。なりかねない、という表現を使う理由はすぐ後に述べる。

 その、「国際化」した日本人教員だが、「Q&A増補版」では、先の「公募要領」p.4()の「海外において通算して1年以上教育研究に従事」は、留学でも構わない、となっている。(p.3)

 「留学」というのは通常、「研究」だから当たり前ではあるが、「要領」の記述を「教育」と「研究」がセットだと読むと、海外で「教育」をした実績があることが必要なわけで、これは、あまりにも非現実的だ。たぶん、合州国の教員も「1年間以上国外で教育」した人の比率はそれほどないだろう。しかし、公募要領を書いていた人は、そうしたイメイジを持っていた可能性も否定できない。

 話を戻すと、今後の教員補充は、上のような、さらなる要求を課されることになりかねない。

 1年間の国外留学というと、さほど高くないハードルのような気がするが、必ずしも多くの大学で、常勤教員が1年間の留学ができるとは限らない。彼らは、「グローバル30」に採択されたような「国際化された」大学には今後移転が困難になる可能性がある。また、(あくまで今回)「グローバル30」に採用されたような大学に直接就職する大学院生はさほどいないかもしれないが、その後の展開(つまり、ある大学に就職して、次に移転する、といったこと)を考えるなら、「1年間の留学」を院生のうちにクリアしておこう、といったことにもなりかねない。それでなくても、大学院を強化する、あるいは強化したせいで、大学院生にかかっている負担が極端に大きくなっている状況で、さらに、何かを課すことが許されるだろうか。

 そもそも、研究ジャンルによっては、国外留学など時間と労力とカネの無駄、といったこともあるだろう。

 さらに、大学という「企業」が抱える経営上の性格がある。どの企業も、人件費削減は利益を上げるための最も効率的な方法の一つである。したがって、大学も職員の削減にこれ努めて経営を行っている、と理解されているかもしれないが、それだけではない。例えば、最近販売されている食品を手に取ったときに、量が少なくなっている、と感じることがあるかもしれないが、実際のところ、同様に、少なくとも一部の大学では、気づかれないように教育サービスの「量を減らして」いるのだ。

 どのように行うかというと、方法は簡単で、教員が移転なり退職した後、教員補充を遅らせるのである。社会保険料などを含めると、常勤教員を一人雇うには年間800万-1500万円ほどかかる。従って、例えば10学科あったとして、学科あたりひとりずつ、なにやかにやと難癖をつけて教員補充をしなければ、それだけで1億円ほど儲かる、というビジネスなのだ。

 サービスを受ける学生の方は、さほどそのようなことに頓着しないし、場合によっては非常勤講師や、既存の常勤教員がカヴァーしているから、全くわからない。非常勤講師のほうが高度な教育サービスを提供する可能性もあるが、一般には常勤教員はその他のサービスも行っているので、全体として大方、サービス水準は低下しているといえるだろう。

 そういったわけで、「グローバル30」は、経営陣に教員採用の際の新たな「難癖」の格好のネタを提供することになりかねない。まあ、それは経営陣の良心にかかっているわけだが、そうした個人の資質に大いに依存してしまう、ということはやはり危険である。

 確かに、「グローバル30」に採択された大学は、日本を代表する大学かもしれないが、それだけにむしろ、そこには大いに危惧されるものがあるのだ。

つづく。

シリーズ前の記事;「3, 数値目標編」
つづきの記事;「5, 起源、経済財政諮問会議編」

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文科省などが主導するグローバル30とは何か(3, 数値目標編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (3)

 グローバル30作戦についての3回目。今回はグローバル30受け入れ時に同時に課される達成目標というノルマについて考えよう。


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このシリーズ全体の目次(1回目)

 この作戦の背後に「留学生30万人計画」があることはすでに述べた。そして、その「計画」を実行するに当たって考えられているのはもっぱらアジアからの留学生をいかに増やすかである。これは、前回とりあげた中教審の「制度・教育部会 留学生ワーキンググループ」および「留学生特別委員会」の議論から明らかだ。

 そして、その流れからすれば、実は「グローバル30」の目玉である「英語コース」というのはやや場違いな印象を受ける。このこともそのうちに書くつもりだが、なぜなら、必ずしもアジアからの留学生が英語に堪能だとは限らないからである。単に人数を稼ぐなら、「中国語コース」の方が有利だ(可能かどうかはともかく)。もし、学生が英語に堪能で、かつ経済的余裕があるなら英米圏に留学することが十分考えられる(し、多くの場合実際そうだ)。

 それにもかかわらず、英語コースが目玉となっているこのグローバル30には、さまざまな形で30万人計画を後押しするような義務が盛り込まれている。

 「海外拠点」や、その上位ヴァージョン(?)である「海外大学共同利用事務所」もそうだが、留学生を増やすという点で、より直接的なものが「達成(数値)目標」だ。1回目に書いたが、それら大学が負わされるノルマを公募要綱から再掲しておこう。

・ 平成32年度までに全学として留学生比率20%程度を目安として最低でも10%を目指す。
併せて、現在より 1,000 人以上留学生の受入れ数を増やすとともに、少なくとも 2,600 人以上の留学生の受入れを目指す。
・ 平成32年度までに全学として外国人教員比率10%程度を目安として最低でも5%を目指す。

 教員の比率はおいておき、一点目について考えよう。

 前半「20%-10%」から見ると、「30万人計画」では全国で全学生のうち留学生比率が10%程度必要となるから、とりわけグローバル30に応募するような大学には要求されるのだろう。しかし、これはかなり野心的なものだ。2万人規模の大規模校だと4000-8000人、1万人規模のやや大きい大学でも2000-4000人が必要となる。ただ、定義の問題もあるから、もし、サマーコースや短期留学まで含めると、ずっと目標達成は容易になるかもしれない。しかし、サマーコースなどで人間を集めるという考え方にも限界があるだろう。
 この前半の条件が、後半の条件とどう関係するのはよくわからないが、念頭に置かれているのは大規模校かもしれない。
 後半は、見やすいデータがあるので、それを参照するとよい。日本学生支援機構が出している「留学生受入れ数の多い大学(平成20年5月1日現在の在籍者数)」http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/ref08_02.htmlである。

 早稲田、東京(東大)、といったところが2600人ほどである。ここから「2600人以上」という数字が導き出されたのではないかと邪推してしまうほどだ。(たぶん、そうだろう)
 大阪、筑波、京都、九州、東北、名古屋、立命館が約1400-1100人程度。
 神戸、慶応、千葉、北海道、広島が約1000-800人程度。
 明治、上智が600人程度。
 リストに漏れがあるかもしれないが、応募した大学は他にもあるから、留学生が現在600人より少ない大学も応募しているわけだ。ただし、留学生300人が最低ラインだから、そういった大学も300以上はあるだろう。
 上の条件に従えば、早稲田・東京は1000人ほど留学生を増やす必要がある。大阪大学になると一気に留学生の数は1400人台に少なくなるから、早稲田・東京以外の大学は、「2600-現在の留学生数」がノルマになる。600人程度のところで2000人増やさなければならない。もちろん、20%とか10%とかいったもうひとつの条件を別として。
 これはかなりのものだ。

 もし、大学の総定員を一定に保った元でこれを実行するとなると(これはひとつの極端論だが)、「通常の」募集人員をかなり減らさなければならない。しかし、このことは、「通常の」入学生のレベルを維持する点では効果的といえる。なお、留学生30万人計画では、通常、国内で行われている入学試験以外の方法で学生を選抜することが考えられている。留学生の学力レベルとどう整合性を確保するかは、たぶん、解決にかなりの困難を伴うだろう。
 逆に、現行の「通常の」募集部分を変更しないのなら、場合によっては小規模校1校分(最低でも、一般的な高校1校分が必要だ)もの学生を新たに受け入れなければならない。従って、新たな校舎の建設などが、多くの場合避けられないことが予想される。かなりの経営資源の投入、振り替えとそれに伴う摩擦が予想されるところだ。しかし、前回見たように、大学という産業がまだかなりの成長力を持っていると考える考え方もあるだろう。正しいか、誤っているかはともかく。

 結果はこの間に落ち着くと考えるのが合理的だが、しかし、その他のノルマも含め、たかだか10-20億円国から補助金が出るというだけで、これだけ経営の自由度を奪われる決定をすることが賢明だろうか。

 私は全くそう思わない。大学が留学生を増やそうとか、社会人学生を増やそうと思えば、そうすればよい。しかし、このように文科省に数値目標をつけられるということはひどく選択の余地を狭めるものだ。

 このシリーズの1回目で一旦応募したものの取り下げた大学があるとの未確認情報について述べた。もしそれが本当なら、彼らは正しい選択をしたと考える。
 はなはだしい場合には、単に「大学の箔付け」として応募しているのではないかという勘ぐりさえ生じさせる大学もある。それは経営陣の勝手といえば勝手だが、経営陣はまた、過去・現在・未来の大学に責任を持つということを忘れてはならない。

 つづく。

シリーズ前の記事「2 人口編」
次の記事;「4, 教職員・大学院生への影響編」

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2009.07.02

文科省などが主導するグローバル30とは何か(2, 人口編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (2)

 グローバル30作戦についてのつづきである。今回は人口的観点から見てゆくことにしよう。

 前の記事およびこのシリーズ全体の目次文科省などが主導するグローバル30とは何か(1, 概要、経営編)
 シリーズ全部を一気に表示したい場合は、右側の「カテゴリー」の「グローバル30(国際化拠点整備事業)」をクリックすればOK。

 グローバル30は少し脇においておき、グローバル30作戦の根拠となる戦略、「留学生30万人計画」を考えてみよう。これは、福田康夫氏が2008年の年頭の演説で述べたことに由来するとされるが、もちろん、首相オリジナルのものではなく、もともとその考え方はあった。

 ルーツをさかのぼることはおいておき、先に進む。

 この計画の30万人というのは、2025年ぐらいが目標となっているらしい。そのころの大学の状況はどうなっているのだろうか。ただ、ここでは、2025年ではなく、グローバル30が目途としている2020年を比較対照として取り上げる。

 人口を考えるなら、比較的それは簡単で、出生数をみればよい。なんといっても、2020年に大学に入ってくるあたりの世代はすでに生まれているのだ。
 今の大学生の生まれた年である1987-1991年に生まれた人は122-137万人ぐらいだ。一方で、2020年に大学に在籍しているであろう1998-2002年に生まれた人は118-122万人。1991年と1998年を比べて意外と減っていないような気がするかもしれないが、実際、大騒ぎしたほど日本の出生数は減っていないのだ(現在は100万人台にはいった)。騒ぎがあったのは、主として、ベビーブーマーの子世代が予想ほど子供を生まなかったということと、1980年代-90年ごろの減少が印象的すぎたということも大きい(1987年から1991年でなんと15万人も減っている)。あと、もちろん当時の厚生省の大騒ぎも原因の一つだ。
 それはともかく、平均的に1学年あたり9万人ほど減る計算である(人口統計から計算)。仮に大学への進学率を50%と見積もれば(進学率は傾向的に上昇しているので、もう少し実際には大きいだろう)、1学年あたり約4.5万人の進学者の減少だ。

 一方で、現在の留学生の数は約12万人である(日本統計年鑑など)。計画の30万人ということだと、18万人増えればよい。もちろん、留学生は学部にのみ留学するのでは全くないが、ものすごく大雑把に、全員学部として、18万人の1学年ごとの在籍者を計算すると、18/4=4.5万人となる。これは、先の大学進学者の減少をすっかりカバーする人数だ。すばらしい。

 ということは、大学業界というものがあったとして(ほとんどないけれども)、「業界」としては悪くない話だ。

 しかし、このグローバル30を含む留学関係の話は、単に大学という組織が留学生をより受け入れるというだけの話ではない。より積極的に日本国内で就職してもらい、定住してもらうということが含まれている
 例えば、「『留学生30万人計画』の骨子」取りまとめの考え方(案)」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/016/gijiroku/08051402/003.htm)には、「平成18年度に卒業(修了)した留学生約32,000人のうちの3割程度の約9,400人が日本国内に就職しているが、この倍増を目指すといった、産学官連携による積極的な留学生への就職支援・雇用の促進を展開することが重要である。」とある。
 そうすると、将来的には毎年2-3万人の外国人が新たに日本で就労することも考えられているわけだ。

 これは、単に大学といった狭い範囲の話ではなく、かつてから財界が要求していたタイプの「少子化問題解決案」でもあろう。それについてはまた稿を改めるが、必ずしも、「留学生30万人計画」と、「グローバル30」の間でなにも齟齬がないというわけではない。

 さて、この作戦はうまく行くのだろうか。

 まず、いったい、30万人という数字はどこから出てきたのだろうか。私が先ほどしたような説明も可能だが、公式には次のような説明が行われている。
 それは、(案段階だが)先の留学生特別委員会の資料で「『留学生30万人計画』の骨子」に係る検討事項(案)」というものだ。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/020/gijiroku/08022520/005.htm)
 そこでは、次のように説明されている。

*全学生数(300万人)に占める割合を考慮する? → 1割程度?
  「キャンパスの10人に1人の学生は留学生」というイメージ
  非英語圏の先進国である独(12.3パーセント)、仏(11.9パーセント)とほぼ同じ割合
* 世界の留学生に占める現行のシェア(5パーセント)の維持(アジア・ゲートウェイ構想)

 といった内容で、それなりにわかるものの、むしろ、私の説明の方がスッキリくるくらいだ(まあ、そんなことはないだろうが)。

 30万人の実現可能性について、一橋大学留学生センターの横田雅弘教授をはじめとするレポートがある。
 http://www.kisc.meiji.ac.jp/~yokotam/Ryuko_whole.pdf

 これは、そもそもこの問題を議論してきた中教審「制度・教育部会 留学生ワーキンググループ」の第2回の資料としてあがったものだ。なお、横田氏はワーキンググループのメンバーである。なお、このワーキンググループは後に「留学生特別委員会」となる。

 この論文によれば、30万人という数字はかなり厳しいとされている。それでも30万人という目標を掲げるのならどうすればよいか、といった趣の論文だ。
 横田氏らがそうだというわけではないが、この話は数字先にありきなのである。

 したがって、これらワーキンググループないし特別委員会でも、留学生の定義をどうするかといった、傍から見ればまったくどうでもいい(しかし、当事者にとってはカネの行方に重大な影響を及ぼす)哲学論争が行われたわけである。留学生の定義を広くすれば、目標の達成は容易だ、というわけだ。

 ただ、留学生はともかく、大学という「産業」の将来を極めて楽観視している人たちがいることもわかった。教育産業は、成熟産業ではなく、成長産業だというのだ。同じく「留学生特別委員会」第一回の資料で、「教育振興基本計画の在り方について-「大学教育の転換と革新」を可能とするために-」というものである。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo7/shiryo/08021216/003.pdf)安西祐一郎氏、郷通子氏、金子元久氏、木村孟氏の連名の論文によれば、大学の市場規模は、2007年の296万人から、2025年の375万人に、1.3倍になるのだという。それは、社会人学生が現在の5万人から、75万人になるためだという。私も増えるとは思うが、それにしても、15倍というのはすごい。(ちなみに、この論文では、2025年の留学生の数は25万人である)

 小・中学校の教員の「再教育」を2年ごとにでもしますか。それよりも、小中学などに、一部の大学にあるようなサバティカル制度を導入したほうが、よほど健全かつ効果的だと思われるが、どうだろうか。

 いずれにせよ、私は実際に30万人になるかどうかよりも、こうした数値目標的な手法を(一部の分野を除いて)好まない。計画経済でもあるまいし、どうしてこのような手法を政府は取るのか、疑問に思う。しかも、次に見るが、このグローバル30と、留学生30万人計画は必ずしも密接に関係しているわけでもないのだ。

 つづく。

シリーズつづきの記事;
「3, 数値目標編」

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文科省などが主導する「グローバル30」とは何か(1. 概要, 経営編)
MEXT's 'Global 30', What is this? (1)

 数回にわたって、当ブログで「グローバル30」というものについて取り上げようと思う。

 「グローバル30」というのは、投資信託・・・ではなくて、政府の「留学生30万人計画」の一環として主に文部科学省(文科省)が行っている、とりわけ英語による大学の「国際化」作戦である。国際化拠点整備事業といった名称もある。

 簡単にまとめておくと、年2-4億円の補助金が5年間出る代わり、大学は、1) 英語での受講で学位をとることができるコースを学部・院双方に設置する、2) 留学生の受け入れ態勢を整える、3) 大学全体の「国際化」をする、4) 「海外拠点」を複数設ける、5) 留学生と外国人教員の数に数理目標を設け、達成しなければならない、となる。

 一部で、この「グローバル30」をワーイといって無邪気に喜んでいる何かも見られるが、実は決してそのようなものではない。以下で見てゆくことにする。
 何回かに分けて書くので、関心のあるところだけご覧いただきたい。

 シリーズ全部を一気に表示したい場合は、右側の「カテゴリー」の「グローバル30(国際化拠点整備事業)」をクリックすればOK。(長文注意)

 目次
第1回「概要, 経営編」(この記事)
第2回「人口編」
第3回「数値目標編」
第4回「教職員・大学院生への影響編」
第5回「起源、経済財政諮問会議編」
第6回「思惑編」
第7回「混乱編」
第8回「留学生30万人計画の現実性編」
第9回「日本の大学学部における英語での授業編」
第10回「望ましい国際化方策編」
第11回「まとめ・結論編」(シリーズ完結、箇条書きによる要約あり)

 作戦自身については、次のところから情報を得ることができるが、実質的には同じである。ただ、後のほうが追加情報がある。

文科省 http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/1260324.htm

日本学術振興会 http://www.jsps.go.jp/j-kokusaika/index.html 

 最初にはっきりいっておけば、経営的に見れば大学がこの構想に乗るのは極めてバカらしいことだ。危険ですらある。

 もう、今日(2009.7.2)には選考結果が結果が明らかになっていると思うが(6月末で選考されるとアナウンスされているため)、応募したのは以下の22大学である。選考されるのは、今年度は12校。(発表は7.3のようだ)

 北海道大学 東北大学 筑波大学 千葉大学 東京大学 東京農工大学
 金沢大学 岐阜大学 名古屋大学 京都大学 大阪大学 神戸大学
 広島大学 山口大学 九州大学(以上国公立、以下私立) 慶應義塾大学
 上智大学 東海大学 明治大学 早稲田大学 同志社大学 立命館大学

 未確認情報だし、しばらくすると明らかになると思うが、**大学と****大学は辞退したとの話もある。(7.3追記、*大は通っているので、少なくとも半分はガセだったようだ・・・しかし、取り下げたけれども、ねじ込まれた?)

 この話はひどく複雑なので数回に分けるが、今回は経営について述べよう。

 まず、事業に対して得られる補助金は2-4億円。事業の最大規模は8億円だとされている。例えば、最大の8億円の事業をある大学が行ったとしたら、大学自体の支出が4億円。国からの補助金が4億円となる。なお、補助金が出るのは5年間で、今年度の予算全体として41億円が予定されている。

 この事業で、次のようなことを行うことが必要とされている。上記サイトの「公募要領」などによる。かなりのヴォリュームがあるが、重要だ、と思う点をあげよう。

1) 英語による授業のみで学位を取得できるコースの設置
    単に大学院だけではなく、学部にも新規に設置しなければならない。
    既存のコースを拡充するだけでは不可。
    とりわけ、外国人教員を国際的公募で求人することが推奨され、日本人の場合には「国際的な教育研究活動実績を有する」人を採用または配置することが推奨される。

これが「目玉」とされているが、一方で、選定された大学は以下のようなその他の義務も負う必要がある。

2) 留学生受入のための環境整備
    留学生のためにいたれりつくせりの環境を整えること。とりわけ;
    大学は「海外拠点」を2つ以上の国に設けなければならない。そこでは、留学の情報提供などを行う。
    また、将来の留学生が国外にいるうちに、入学試験をはじめ、入学手続きまで完了できるようにする。
    国内では、生活のサポート、日本語教育の提供、就職の面倒を見ることといったサービスを提供する。

3) 拠点大学の国際化
    事務職員が「招聘した外国人教員や留学生とのコミュニケーションを図れる程度の能力を有する」ことが必要、といったこと。
    (繰り返しのようだが)「海外において通算して1年以上教育研究に従事した、または国外で学位を取得した日本人教員の雇用の促進」も要求される。

4) 海外における留学生受入のための海外大学共同利用事務所の整備
    先の2)の海外拠点、と関係するが、それを文科省が強制的に「海外大学共同利用事務所」として指定し、大学が設ける施設にもかかわらず、関係ない他のサービスも提供させるもの。
    具体的には、設けなければならない「海外拠点」を(原則、だいたい)、現在日本学生支援機構の事務所のない所に置かねばならない、となっており、これによって、「日本」に関係する「海外拠点」をたくさん増やすということができるという目論見である。
    指定されれば、例えばA大学の海外拠点であっても、B、C、D大学などについても「情報発信」しなければならない。「文部科学省より海外大学共同利用事務所に指定された場合は、当該国において、日本の大学全体の留学生の受け入れの促進につながる支援に努めていただくことになります

5) 達成目標
    特に以下の点について目標を設定すること」とされる。目標年次は約10年後の2020年度。(いつから日本は計画経済の国になったのか?)5年たった後は、もう補助金は出ないが、目標達成は要求される。目標は次のようなもの。
      「全学として留学生比率20%程度を目安として最低でも10%を目指す」
      「現在より 1,000 人以上留学生の受入れ数を増やすとともに、少なくとも 2,600 人以上の留学生の受入れを目指す」
      「全学として外国人教員比率10%程度を目安として最低でも5%を目指す」

6) 国際化拠点の運営体制
      1)-5)の要約に近いが、「体制整備に当たっては、本事業による支援だけでなく、拠点大学が独自に予算措置を行うなど、自主的に経費を措置することにも留意すること」ともある。

 これだけの事業を、2-4億円×5年間でさせようというのだ。

 しかも、5年間の中に中間審査(開始3年目)があったり、終了時に事業評価があったりするのはともかく、「なお、支援期間終了から平成32年度(2020年度)までについても、継続的に実施(達成)状況を把握し、実施(達成)状況の確認を行うこととしています。」(Q&A Q3-19, http://www.jsps.go.jp/j-kokusaika/data/koubo/09_qa.pdf)とある。

 恐ろしいほどのしつこさである。たかだか(?)10-20億円のためにここまでやらされなければならないのだろうか。

 経営的に見れば、一番の問題は次のようなものだ。

 補助金を使って、外国人教員を雇ったり、例の「海外拠点」を設け、その運用を始めたりしたとしよう。しかし、その補助金がなくなった後はどうするつもりなのだろうか。

 私が大学の経営者なら、こういった「補助金ではしごをかける」類の話はよほど慎重に検討するだろう(しかも、5年たった後で、はしごを外されるのはかなりありえる話である)。しかし、大学が検討に使える時間は1ヶ月ほどしかなかったのだ。4月の募集要項発表で5月15,18日が応募締め切りというスケジュールだったからだ。
 そもそも、先に見たように、補助金100%の事業ではなく、大学の持ち出しも最初から想定されている。補助金がなくなった後のことを考えるのは当然だ。しかも、文科省の監視は補助金支給が終わったあとも5年間ついてくるときている。簡単にやめられないだろう。というより、大学といったところは、一旦はじめた事業がなかなか止められない(学生と長期契約しているようなものなので、簡単に「サービス」を打ち切れないのだ)という性格を持っている。
 そこを見越してこのような作戦が立てられたのかもしれない。

 全部で30校らしいから、今回の12校にあえて手を上げる必要はない。手を上げた大学には、ひょっとするともしかして、ややオッチョコチョイの経営陣がいる可能性もある。あるいは、経営を大学コンサルタントに丸投げしているとか。そういえば、リストの中には、資産運用で多額の損を出した学校も含まれているようだ。

 それに、以下の回から見てゆくように、大学が追わなければならない負担はかなり重い。

 この「グローバル30」については、しばらく取り上げ続けるとしよう。

シリーズつづきの記事;
「文科省などが主導する「グローバル30」とは何か(2 人口編)」

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