ちょっと遅いが、豚(新型)インフルエンザに関するマスク騒動を取り上げる。
対象とするのは、アサヒ・コムで取り上げられているマスク有用説の根拠となった、ユニ・チャームが、関西医科大学医学部耳鼻咽喉科の久保伸夫准教授と「いがらしクリニック」五十嵐利一院長と共同で行った「マスクには対インフルエンザで効果がある」とする研究である。
この研究はかなり奇妙である。いままでも疑問は呈されている可能性があるが、以下にはっきりさせておく。
最初に結論をいっておくと、この研究は「1日15分マスクをつけるだけで、インフルエンザ感染の危険をかなり減らせる」という、なにか健康機器の宣伝文句を思わせるような結果であり、到底まともなものとして受け取ることはできない。
長いので、構造化しておく。面倒なら、3)、5)、6)のみ読んでもよいだろう。
1) 私の立場
2) ライナ・マッキンタィアー博士(オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ大学)によって率いられたチームの論文について
3) 朝日新聞、アサヒ・コムのサイト、日経メディカルのサイト、ユニ・チャームのサイト
4) 有意性の検討
5) 実験計画
6) この発表への疑問
7) 付録;日経メディカルとユニ・チャームのサイトのデータの相違について
1) 私の立場
通常時、マスクをしたい人はすればよい、私は気持ち悪いし、面倒だし、金もかかるのでしたくない、というのがまず前提だ。そして、一般的なインフルエンザ蔓延時には、インフルエンザ患者のいることがある程度確実な空間では、使用がよりありうるし、推奨されるだろう。そして、脅威がかなり重大な場合には、かつ、有効性が確保されるならば、場所によってはほぼ着用強制に近い形でもよいとは思っている。したがって一律にマスク着用を排除するものではない。ただし、今回の騒ぎは明らかに私の基準からすればほとんど無意味だった。もっと重要な感染を防御する手段からむしろ目をそらす役割すら果たしたのではないかと思う。
2) ライナ・マッキンタィアー博士(オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ大学)によって率いられたチームの論文について
これは、家庭において、子供がインフルエンザ様病気(ILI)にかかった場合、その家族がマスクをすること(*)の効果を検証したものである。(興味のない人は、3)に飛んでください)
'Face Mask Use and Control of Respiratory Virus Transmission in Households'
C. Raina MacIntyre,corresponding author Simon Cauchemez, Dominic E. Dwyer, Holly Seale, Pamela Cheung, Gary Browne, Michael Fasher, James Wood, Zhanhai Gao, Robert Booy, and Neil Ferguson
Emerg Infect Dis. 2009 February; 15(2): 233–241.
「家庭におけるフェイスマスクの使用と空気感染するウィルスの伝染のコントロール」
以下のサイト(合州国NHIのPubMed Central)で読むことができる。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=2662657#SD1
この論文は、(*)のような状態での効果を検証したものであり、マスクの効果について肯定的に結論付けている。ただし、効果は大まかに言って二面的に分析されており、単に家庭内での感染者の割合といったことでは効果はあるとはいえない。コックスの比例ハザードモデルという手法を使うと、マスクの効果が見られるというものだ。なお、(*)の設定ではサージカル・マスクとP2マスク(N95マスクと同等らしい、オーストラリアで認定)でさほど効果に差は認められない。
その他の知見も種々述べられている。著者らによる解説を次のページで見ることができる。上は豚インフルエンザと絡めたもの。ただし、4月30日付であることに注意。(それぞれオーストラリア、英国)
http://www.unsw.edu.au/news/pad/articles/2009/apr/Swine.html
http://www3.imperial.ac.uk/newsandeventspggrp/imperialcollege/newssummary/news_26-1-2009-14-53-41?newsid=55374
ところで、調べている途中で、「ばかげたフェイスマスクは、嗤うものではない、と研究でわかった」
http://medgadget.com/archives/2009/01/silly_facemasks_nothing_to_laugh_at_study_finds.html
との記事があった。もちろん、かぜも引いていないのに元気にマスクをつけて、物笑いの種になっているのはわれらが日本人である。まあ、そういう見方もあるだろう。
3) 朝日新聞、アサヒ・コムのサイト、日経メディカルのサイト、ユニ・チャームのサイト
アサヒ・コムを開くと、割と上のほうに「新型インフルエンザ 「よく効く知識」」というコーナーがある。その中に、「学校では鼻ガード」という記事がある。次のサイト。2009年6月3日付である。
http://www.asahi.com/health/pandemicflu/OSK200906030001.html
簡単に言えば、学校ではマスクをしましょうといった記事なのだが、研究内容はよくわからないので、ネットをうろつくと、この「詳しい」バージョンが発見される。「日経メディカル オンライン」の「【学会トピックス】マスクに一定のインフルエンザ予防効果を確認」というものだ。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/flu2007/pickup/200801/505340.html
内容はこのようなもの
試験期間は2007年2月5日~3月2日。この間、装用グループには、登下校時と清掃時にマスクを装着してもらった。授業に集中したいという理由から、授業中は対象外とした。
(中略)
マスク装用グループの発症率は1.9%だったのに対し、非装用グループでは10.8%となり、装用グループの方が有意にインフルエンザ発症率が低いという結果だった(p<0.05、図1)。
図は次のようなものである。著作権に配慮し、作り直したものを貼り付ける。
同じような内容がユニ・チャームのサイトにもある。2007年11月1日付けニュースリリースで「ユニ・チャーム、関西医科大学と共同研究 マスクで子どものインフルエンザ発症率を5分の1に低減できることを実証~第39回日本小児感染症学会(2007年11月)にて発表予定~」というものだ。なんとも勇ましく、「子どものインフルエンザ発症率を5分の1に低減できる」らしい。
http://www.unicharm.co.jp/company/news/2007/07nov-1.html
関西大学の久保先生の意見もなかなか勇ましいものだ。
今回の研究成果から、学校保健の立場からも、より多くの子どもたちにマスクを装用することを指導することを推奨します。登下校や清掃時のみならず、休憩時間や在宅時にも、マスクの装用を心がけてほしいと思います。
となっている。ユニ・チャームが見れば(見ただろうけど)随喜の涙をもって喜びそうなコメントである。日経メディカルでは五十嵐先生がもっとずっと慎重なコメントを寄せている。
4) 有意性の検討
さて、実験計画も、データも明らかになっているので、われわれはこの研究について検討することができる。
まず、統計的有意性から再検討すると(つまり、私が自分で計算しなおしたということ)、これはかなり明らかだ。有意水準を1%にしても、つまり判断基準を厳しくしても、マスクの効果は統計的には揺るがない。むしろ、印象的すぎるほどだ。
この2つの標本の差は、何らかの違いがあってもたらされたものだと判断して間違いない。
5) 実験計画
印象的な結果をおいておき、次に、実験計画についてみてみよう。彼らの実験は、上の2)でとりあげた論文の精密さ(それでも困難があるが)に比べれば、表に出てきている内容では全く及ぶものではない。はっきり言えば、お話にならない。まあ、発表そのものを観ていないのでなんともいえない部分もあるが・・・
いくつも問題があるのだが、もっとも大きな問題は、「マスクをつけたグループ」というのが、そのつけている時間が「登下校時と清掃時」に限られているということだ。小学校だから、全部あわせても、普通は1日せいぜい1時間だろう。(日経メディカルによると「授業に集中したいという理由から、授業中は対象外とした。」ということになっている)つまり、もし、彼らの主張をそのまま聞けば、
「1日1時間このマスクをつけるだけでインフルエンザの感染を5分の1にできる」
ということになるのである。
念のために言っておけば、5分の1というのは標本からの推定値だ。基本的にその言明は検定では言えない。ただ、数パーセント、インフルエンザ感染の危険を減らすということは検定でいえる(ユニ・チャームデータで、感染率の絶対値を2%低下させる効果ならなんとかいえるだろう。単純な検定で確認。3%減らすといえるかどうかはわからないが、かなり難しいだろう)。
さらに、開放空間ではマスクの効果が疑わしいことがわかっている。そして、ユニ・チャームのサイトからは、まさに彼ら小学生が開放空間で通学していることがわかる。したがって、さらに、彼らの結論からは彼ら流に統計を使うと、強く次のように言うことができる。(15分というのが掃除の時間だとして)
「1日15分このマスクをつけるだけでインフルエンザの感染を5分の1にできる」
そんなことがありえるだろうか。1日ほとんどマスクをつけていなくても、わずかの時間つければよいというのである。まさに、よくあるキャッチコピーのようなものではないだろうか。
6) この発表への疑問
4)と5)は、矛盾する。ありえない。統計結果としてどれぐらいありえないかというと(5でありえなさが明らかなので)、その「1-有意水準」でありえないのだ。したがって、99%以上の確率、あるいは日経メディカルの「p<0.05」という表現を採用しても、95%の確率でありえない。
このことから、その違いをもたらしたものはマスク以外の要因か、あるいは結果の数字の何らかの意味での操作にしか求めることはできない。あるいは、残りの1%未満、ないし5%未満の単なる偶然である。
これ以上詮索する材料はないし、憶測になるので述べないが、この4,5,6の記述は論理的(あるいは統計的)帰結であり、筋道だてて考えれば誰でもこの結論になる。
学会発表というと、なにやら正統性のあるもののように思うかもしれないが、必ずしもそうではない。
そのほかにもいろいろあるが、関係者が混じっているものは要注意である。今回の場合、マスクの製造業者であるユニ・チャームの石神まこと氏が学会報告に加わっている(日経メディカル)。こういった場で、マスクの効果は認められない、という発表はしづらいだろう。
これを無批判にとりあげたアサヒ・コムと日経メディカルの姿勢も疑問だ。
7) 付録;日経メディカルとユニ・チャームのサイトのデータの相違について
朝日と、ユニ・チャームの2つと、日経メディカルのサイトでは、なぜかデータがやや異なる。
前者は、標本数が151、103であり、後者は161、93である(マスク着用、非着用)。
ただし、検定結果にさほどかわりはない。
**********
頭を冷やし、広く世の中を見てゆこう。軍艦「橿原」の乗務員のようになるのは勘弁してほしい。
この記事執筆の調査段階で「タカマサのきまぐれ時評2」の以下の記事がひとつのヒントとなった。お礼を申し上げたい。
「インフルエンザ予防としてのマスクの効用」
http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-791.html
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